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淮南子 / 說林訓

親莫親於骨肉,節族之屬連也,心失其制,乃反自害,況疏遠乎!聖人之於道,猶葵之與日也,雖不能與終始哉,其鄉之誠也。宮池涔則溢,旱則涸;江水之原,淵泉不能竭。蓋非橑不能蔽日,輪非輻不能追疾,然而橑輻未足恃也。金勝木者,非以一刃殘林也;土勝水者,非以一墣塞江也。躄者見虎而不走,非勇,勢不便也。傾者易覆也,倚者易軵也。幾易助也,濕易雨也。設鼠者機動,釣魚者泛杭,任動者車鳴也。芻狗能立而不能行,蛇床似麋蕪而不能芳。

新字:親莫親於骨肉,節族之属連也,心失其制,乃反自害,況疏遠乎!聖人之於道,猶葵之与日也,雖不能与終始哉,其鄉之誠也。宮池涔則溢,旱則涸;江水之原,淵泉不能竭。蓋非橑不能蔽日,輪非輻不能追疾,然而橑輻未足恃也。金勝木者,非以一刃残林也;土勝水者,非以一墣塞江也。躄者見虎而不走,非勇,勢不便也。傾者易覆也,倚者易軵也。幾易助也,湿易雨也。設鼠者機動,釣魚者泛杭,任動者車鳴也。芻狗能立而不能行,蛇床似麋蕪而不能芳。

書き下し

親は骨肉より親しきは莫し。節族の屬 連なればなり。心 其の制を失えば、乃ち反って自ら害す。況んや疏遠をや。聖人の道に於けるは、猶お葵の日に與するがごとし。終始を與にする能わずと雖も、其の之に鄉かうは誠なり。宮池は涔れば則ち溢れ、旱すれば則ち涸る。江水の原、淵泉は竭くる能わず。蓋は橑に非ざれば日を蔽う能わず、輪は輻に非ざれば疾きを追う能わず。然れども橑輻は未だ恃むに足らざるなり。金の木に勝つは、一刃を以て林を殘するに非ざるなり。土の水に勝つは、一墣を以て江を塞ぐに非ざるなり。躄者 虎を見て走らざるは、勇なるに非ず。勢の便ならざればなり。傾く者は覆り易く、倚る者は軵し易し。幾きは助け易く、濕るは雨ふり易し。鼠を設くる者は機 動き、魚を釣る者は杭を泛かべ、任 動く者は車 鳴る。芻狗は能く立てども行く能わず、蛇床は麋蕪に似たれども芳しき能わず。

現代語訳

親しさは肉親に勝るものはない。節々がつながっているからである。心がその統御を失えば、かえって自分を害する。まして遠い者ならなおさらだ。聖人が道に対するのは、葵が日に向かうようなものだ。終始をともにはできなくても、そちらへ向かう心は真である。宮中の池は雨が降れば溢れ、日照りになれば涸れる。長江の源の深い泉は涸れることがない。傘は骨がなければ日を遮れず、車輪は輻がなければ速さについていけない。それでも骨や輻だけを頼りにはできない。金が木に勝つといっても、一枚の刃で林を伐り尽くすのではない。土が水に勝つといっても、一塊の土で大河を塞ぐのではない。足の萎えた者が虎を見て走らないのは、勇気ではない。走れる勢いにないからである。傾いたものは倒れやすく、寄りかかったものは押しやすい。危ういものは助けやすく、湿ったところは雨が降りやすい。鼠を捕る者は仕掛けが動き、魚を釣る者は浮きを浮かべ、荷が動けば車が鳴る。藁の犬は立てても歩けず、蛇床は麋蕪に似ていても香らない。

解説

「聖人の道に於けるは、猶お葵の日に與するがごとし。終始を與にする能わずと雖も、其の之に鄉かうは誠なり」。太陽と一日じゅう同じところにはいられなくても、向く心は本物だ、と。届かないことと本気でないことは別だ、という慰めのある一行です。周りには冷静な観察が並びます。足の萎えた者が虎を前に逃げないのは勇気ではなく走れないから。金が木に勝つといっても、一枚の刃で林を伐り尽くせるわけではない。

この章句が説くこと

親は骨肉より親しきは莫し心其の制を失えば乃ち反って自ら害す聖人の道に於けるは猶お葵の日に与するがごとし其の之に鄉かうは誠なり宮池は涔れば則ち溢れ旱すれば則ち涸る江水の原淵泉は竭くる能わず躄者虎を見て走らざるは勇なるに非ず勢の便ならざればなり芻狗は能く立てども行く能わず蛇床は麋蕪に似たれども芳しき能わず志向

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