淮南子 / 說林訓
以一世之度制治天下,譬猶客之乘舟,中流遺其劍,遽契其舟桅,暮薄而求之,其不知物類亦甚矣!夫隨一隅之跡,而不知因天地以游,惑莫大焉。雖時有所合,然而不足貴也。譬若旱歲之土龍,疾疫之芻狗,是時為帝者也。曹氏之裂布,蛷者貴之,然非夏后氏之璜。無古無今,無始無終,未有天地而生天地,至深微廣大矣。足以蹍者淺矣,然待所不蹍而後行;智所知者褊矣,然待所不知而後明。游者以足蹶,以手㧊,不得其數,愈蹶愈敗;及其能游者,非手足者矣。
新字:以一世之度制治天下,譬猶客之乗舟,中流遺其剣,遽契其舟桅,暮薄而求之,其不知物類亦甚矣!夫随一隅之跡,而不知因天地以游,惑莫大焉。雖時有所合,然而不足貴也。譬若旱歳之土竜,疾疫之芻狗,是時為帝者也。曹氏之裂布,蛷者貴之,然非夏后氏之璜。無古無今,無始無終,未有天地而生天地,至深微広大矣。足以蹍者浅矣,然待所不蹍而後行;智所知者褊矣,然待所不知而後明。游者以足蹶,以手㧊,不得其数,愈蹶愈敗;及其能游者,非手足者矣。
書き下し
一世の度制を以て天下を治むるは、譬えば猶お客の舟に乘り、中流にて其の劍を遺い、遽かに其の舟桅に契り、暮れて薄りて之を求むるがごとし。其の物類を知らざること亦た甚だし。夫れ一隅の跡に隨いて、天地に因りて游ぶを知らざるは、惑い焉より大なるは莫し。時に合う所有りと雖も、然れども貴ぶに足らざるなり。譬えば旱歲の土龍、疾疫の芻狗の若し。是れ時に帝と爲る者なり。曹氏の裂布は、蛷なる者 之を貴ぶも、然れども夏后氏の璜に非ず。古無く今無く、始無く終無く、未だ天地有らずして天地を生ず。至って深微廣大なり。蹍むに足る者は淺し。然れども蹍まざる所を待ちて而る後に行く。智の知る所の者は褊し。然れども知らざる所を待ちて而る後に明らかなり。游ぐ者 足を以て蹶り、手を以て㧊するも、其の數を得ざれば、蹶るほど愈々敗る。其の能く游ぐに及びては、手足の者に非ざるなり。
現代語訳
ひとつの時代のきまりで天下を治めるのは、たとえば旅人が舟に乗り、流れの中ほどで剣を落とし、あわてて舟べりに刻みをつけ、日が暮れてから探すようなものだ。物の類を知らないことも甚だしい。ひとつの隅の足跡をたどるばかりで、天地に乗って遊ぶことを知らない。惑いはこれより大きいものはない。ときに時勢に合うことがあっても、貴ぶには足りない。たとえば日照りの年の土竜、疫病のときの藁の犬のようなものだ。その時だけは帝のように扱われる。曹氏の裂いた布は、皮膚病の者は貴んだが、夏后氏の玉には及ばない。古も今もなく、始めも終わりもなく、まだ天地がないうちに天地を生む。きわめて深く微かで広く大きい。踏むに足る場所は狭い。それでも踏まない場所があってはじめて歩ける。知が知るところは狭い。それでも知らないところがあってはじめて明らかになる。泳ぐ者が足で蹴り手で掻いても、こつを得なければ、蹴るほど沈む。泳げるようになったときには、手足のはたらきではない。
解説
この章句が説くこと
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