淮南子 / 齊俗訓
五帝三王,輕天下,細萬物,齊死生,同變化,抱大聖之心,以鏡萬物之情,上與神明為友,下與造化為人。今欲學其道,不得其清明玄聖,而守其法籍憲令,不能為治亦明矣。故曰:「得十利劍,不若得歐冶之巧;得百走馬,不若得伯樂之數。」樸至大者無形狀,道至眇者無度量,故天之圓也不得規,地之方也不得矩。往古來今謂之宙,四方上下謂之宇,道在其間,而莫知其所。
新字:五帝三王,軽天下,細万物,斉死生,同変化,抱大聖之心,以鏡万物之情,上与神明為友,下与造化為人。今欲学其道,不得其清明玄聖,而守其法籍憲令,不能為治亦明矣。故曰:「得十利剣,不若得欧冶之巧;得百走馬,不若得伯楽之数。」樸至大者無形状,道至眇者無度量,故天之円也不得規,地之方也不得矩。往古来今謂之宙,四方上下謂之宇,道在其間,而莫知其所。
書き下し
五帝三王は、天下を輕んじ、萬物を細とし、死生を齊しくし、變化を同じくし、大聖の心を抱きて、以て萬物の情を鏡とし、上は神明と友と為り、下は造化と人と為る。今 其の道を學ばんと欲して、其の清明玄聖を得ずして、其の法籍憲令を守るも、治を為す能わざること亦た明らかなり。故に曰く、「十の利劍を得るは、歐冶の巧を得るに若かず。百の走馬を得るは、伯樂の數を得るに若かず」と。樸の至って大なる者は形狀無く、道の至って眇なる者は度量無し。故に天の圓きや規を得ず、地の方なるや矩を得ず。往古來今 之を宙と謂い、四方上下 之を宇と謂う。道 其の間に在りて、其の所を知る莫し。
現代語訳
五帝三王は、天下を軽く見、万物を細かいものとし、生と死を等しくし、変化を同じものとし、大聖の心を抱いて、万物の実情を鏡とし、上は神明と友となり、下は造化とともに人であった。いまその道を学ぼうとして、その澄んだ明るさと奥深い聖なるものを得ないまま、その法や記録や命令だけを守っても、治められないのは明らかである。だから言う、「鋭い剣を十本得るのは、歐冶の技を得るに及ばない。走る馬を百頭得るのは、伯楽の見立てを得るに及ばない」。素朴さの極まったものにかたちはなく、道の極まって微かなものに寸法はない。だから天の丸さはコンパスでは測れず、地の四角さはさしがねでは測れない。過去から今までを宙といい、四方と上下を宇という。道はその間にあって、どこにあるかを知る者はない。
解説
この章句が説くこと
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