淮南子 / 說山訓
受光於隙照一隅,受光於牖照北壁,受光於戶照室中無遺物,況受光於宇宙乎?天下莫不藉明於其前矣!由此觀之,所受者小則所見者淺,所受者大則所照者博。江出岷山,河出昆侖,濟出王屋,潁出少室,漢出嶓冢,分流舛馳,注於東海,所行則異,所歸則一。通於學者若車軸,轉轂之中,不運於己,與之致千里,終而復始,轉無窮之源。不通於學者若迷惑,告之以東西南北,所居聆聆,背而不得,不知凡要。寒不能生寒,熱不能生熱,不寒不熱能生寒熱。故有形出於無形,未有天地能生天地者也,至深微廣大矣!雨之集無能霑,待其止而能有濡;矢之發無能貫,待其止而能有穿;唯止能止眾止。
新字:受光於隙照一隅,受光於牖照北壁,受光於戸照室中無遺物,況受光於宇宙乎?天下莫不藉明於其前矣!由此観之,所受者小則所見者浅,所受者大則所照者博。江出岷山,河出昆侖,済出王屋,潁出少室,漢出嶓冢,分流舛馳,注於東海,所行則異,所帰則一。通於学者若車軸,転轂之中,不運於己,与之致千里,終而復始,転無窮之源。不通於学者若迷惑,告之以東西南北,所居聆聆,背而不得,不知凡要。寒不能生寒,熱不能生熱,不寒不熱能生寒熱。故有形出於無形,未有天地能生天地者也,至深微広大矣!雨之集無能霑,待其止而能有濡;矢之発無能貫,待其止而能有穿;唯止能止眾止。
書き下し
隙に光を受くれば一隅を照らし、牖に光を受くれば北壁を照らし、戶に光を受くれば室中を照らして遺物無し。況んや光を宇宙に受くるをや。天下 明を其の前に藉らざる莫し。此に由りて之を觀れば、受くる所の者 小なれば則ち見る所の者 淺く、受くる所の者 大なれば則ち照らす所の者 博し。江は岷山より出で、河は昆侖より出で、濟は王屋より出で、潁は少室より出で、漢は嶓冢より出づ。流を分かち舛馳して、東海に注ぐ。行く所は則ち異なるも、歸する所は則ち一なり。學に通ずる者は車軸の若く、轂を轉ずるの中、己に運らずして、之と千里を致し、終わりて復た始まり、無窮の源に轉ず。學に通ぜざる者は迷惑するが若く、之に告ぐるに東西南北を以てするも、居る所 聆聆として、背きて得ず、凡要を知らず。寒は寒を生ずる能わず、熱は熱を生ずる能わず、不寒不熱 能く寒熱を生ず。故に形有るは無形より出づ。未だ天地有りて能く天地を生ずる者あらざるなり。至って深微廣大なるかな。雨の集まるや霑す能う無く、其の止むを待ちて能く濡う有り。矢の發するや貫く能う無く、其の止まるを待ちて能く穿つ有り。唯だ止のみ能く眾止を止む。
現代語訳
隙間から光を受ければ一隅を照らし、窓から受ければ北の壁を照らし、戸口から受ければ部屋の中を照らして残るものがない。まして宇宙から光を受けるならなおさらだ。天下に、その前で明るさを借りないものはない。これによって見れば、受け取る口が小さければ見えるものは浅く、受け取る口が大きければ照らす範囲は広い。長江は岷山から、黄河は崑崙から、済水は王屋から、潁水は少室から、漢水は嶓冢から出る。流れを分かち別々に走って、東の海に注ぐ。行く道は違っても、帰る先は一つである。学に通じた者は車軸のようで、轂が回る中にいて自分では回らず、それとともに千里に至り、終わってまた始まり、限りのない源へ転じる。学に通じない者は迷った人のようで、東西南北を教えられても、その場では分かった顔をして、背を向けたとたんに分からなくなり、要点をつかめない。寒さは寒さを生めず、熱は熱を生めない。寒くも熱くもないものが、寒さと熱さを生む。だからかたちのあるものはかたちのないものから出る。天地があって天地を生んだのではない。この上なく深く微かで広く大きい。雨は降っているあいだは濡らしきれず、止んでからしみ通る。矢は飛んでいるあいだは貫けず、止まってはじめて穴が空く。ただ止まることだけが、多くの止まりを止められる。
解説
この章句が説くこと
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