淮南子 / 說山訓
先裸而浴則可,以浴而裸則不可;先祭而後饗則可,先饗而後祭則不可;物之先後各有所宜也。祭之日而言狗生,取婦夕而言衰麻,置酒之日而言上冢,渡江、河而言陽侯之波。或曰知其且赦也而多殺人,或曰知其且赦也而多活人,其望赦同,所利害異。故或吹火而然,或吹火而滅,所以吹者異也。烹牛以饗其里,而罵其東家母,德不報而身見殆。文王污膺,鮑申傴背,以成楚國之治。
新字:先裸而浴則可,以浴而裸則不可;先祭而後饗則可,先饗而後祭則不可;物之先後各有所宜也。祭之日而言狗生,取婦夕而言衰麻,置酒之日而言上冢,渡江、河而言陽侯之波。或曰知其且赦也而多殺人,或曰知其且赦也而多活人,其望赦同,所利害異。故或吹火而然,或吹火而滅,所以吹者異也。烹牛以饗其里,而罵其東家母,徳不報而身見殆。文王汚膺,鮑申傴背,以成楚国之治。
書き下し
先に裸にして浴すれば則ち可なり。浴を以て裸なれば則ち不可なり。先に祭りて後に饗すれば則ち可なり。先に饗して後に祭れば則ち不可なり。物の先後 各々宜しき所有るなり。祭の日にして狗の生を言い、婦を取るの夕にして衰麻を言い、酒を置くの日にして上冢を言い、江・河を渡りて陽侯の波を言う。或るひと曰く、其の且に赦せんとするを知りて多く人を殺す、と。或るひと曰く、其の且に赦せんとするを知りて多く人を活かす、と。其の赦を望むは同じくして、利害する所は異なる。故に或いは火を吹きて然え、或いは火を吹きて滅す。吹く所以の者 異なればなり。牛を烹て以て其の里に饗して、其の東家の母を罵る。德 報いられずして身 殆うきを見る。文王は膺を污し、鮑申は背を傴めて、以て楚國の治を成せり。
現代語訳
先に裸になってから浴びるのはよい。浴びてから裸になるのはいけない。先に祭ってから饗するのはよい。先に饗してから祭るのはいけない。物事の前後には、それぞれふさわしい順序がある。祭りの日に犬の出産を口にし、嫁取りの夕べに喪服の話をし、酒宴の日に墓参りを言い、川を渡るときに波の神の話をする。ある者は、赦免が近いと知って多くの人を殺すという。ある者は、赦免が近いと知って多くの人を生かすという。赦免を望む点では同じでも、利するか害するかは違う。だから、火を吹いて燃え立たせることもあれば、火を吹いて消すこともある。吹く理由が違うからである。牛を煮て里の人をもてなしながら、東隣の母を罵る。徳は報いられず、身は危うくなる。文王は胸を汚し、鮑申は背をかがめて、それで楚の国の治を成し遂げた。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
司馬法・嚴位凡そ人は、愛に死し、怒りに死し、威に死し、義に死し、利に死す。
-
『墨子』非命下是の故に子墨子曰く、今、天下の君子の文章を為り言談を出だすは、将に其の頰舌を勤勞し、其の唇呡を利せんとするに非ざるなり。中に實に将に其の國家邑里萬民の刑政を為さんと欲する者なり。今や王公大人の早く朝し晏く退き、獄を聴き政を治め、終朝、均しく分かちて敢えて怠倦せざる所以の者は、何ぞや。曰く、彼れ以為えらく强ければ必ず治まり、强からざれば必ず亂れ、强ければ必ず寕く、强からざれば必ず危うしと。故に敢えて怠倦せず。
-
『武士道』原序・愛妻の問いが動機となる予が此一小冊子を述作するに至りたる直接の動機は、愛妻のしばしば予に問ふに、日本に行はるる彼此の思想習慣の理由根拠を以てするに在りき。ド・ラヴレー氏及び愛妻に対し、満足なる解答を与へんとするに当りて、予は知りぬ、先づ封建主義と武士道の何物たるかを了知するに非ずんば、即ち現時日本の道徳思想は、一の秘本にして繙き窺ふべからざるものなることを。予の病、久しく癒えず、為に疎懶、日を銷するの止むを得ざるを機とし、かつて多次、家庭の談話に於て与へたる答解を記述したるもの、即ち此書の骨子を成し、其拠る所は主として、封建思想のなお旺盛なりし時、予が少年の日に当りて示教を受けたるものに係る。彼れには小泉八雲氏及びフレエザー夫人あり、此れには又たサー・アーネスト・サトウ及びチャンバレン教授あるの中間に立ち、英語を以て日本に関する述作を成さんは、けだし躊躇失望すべきものあり。
-
『墨子』兼愛下且つ惟だ泰誓のみ然りと為すにあらず、禹誓と雖も即ち亦た猶お是のごときなり。禹曰く、「濟濟たる有衆、咸な朕が言を聴け。惟だ小子のみ敢えて亂を稱するを行うに非ず。蠢たる茲の有苗、天の罰を用う。若し予れ既に爾の羣を率い、羣諸に對して以て有苗を征せん」と。禹の有苗を征するや、富貴を重ね、福禄を干め、耳目を樂しましむるを求むるに非ざるなり。以て天下の利を興し、天下の害を除かんことを求むるなり。即ち此れ禹の兼なり。子墨子の謂う所の兼なる者と雖も、禹に於て求めたり。
-
言志四録・言志耋録 第七十九条 嫌を避けて為さざる勿れ事固より自ら為にするの謀にして、迹の人の為にするに似たる者之れ有り。戒めて之を為すこと勿れ。固より人の為に謀りて、或は自ら為にするかと疑はるる者之れ有り。嫌を避けて為さざること勿れ。
-
『墨子』耕柱巫馬子、子墨子に謂いて曰く、「子は天下を兼愛するも、未だ利ありと云わず。我れは天下を愛せざるも、未だ賊すと云わず。功、皆な未だ至らざるに、子、何ぞ獨り自ら是として我を非とするや」と。子墨子曰く、「今、此に燎ゆる者有り。一人は水を奉じて将に之に灌がんとし、一人は火を摻りて将に之を益さんとす。功、皆な未だ至らざるも、子、何れをか二人に貴ばん」と。巫馬子曰く、「我れは彼の水を奉ずる者の意を是とし、夫の火を摻る者の意を非とす」と。子曰く、「吾れも亦た吾が意を是とし、子の意を非とするなり」と。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る