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淮南子 / 說山訓

人有多言者,猶百舌之聲。人有少言者,猶不脂之戶也。六畜生多耳目者不詳,讖書著之。百人抗浮,不若一人挈而趨。物固有眾而不若少者,引車者二六而後之。事固有相待而成者,兩人俱溺,不能相拯,一人處陸則可矣。故同不可相治,必待異而後成。千年之松,下有茯苓,上有兔絲;上有叢蓍,下有伏龜;聖人從外知內,以見知隱也。喜武非俠也,喜文非儒也,好方非醫也,好馬非騶也,知音非瞽也,知味非庖也,此有一概而未得主名也。被甲者,非為十步之內也,百步之外則爭深淺,深則達五藏,淺則至膚而止矣。死生相去,不可為道里。

新字:人有多言者,猶百舌之声。人有少言者,猶不脂之戸也。六畜生多耳目者不詳,讖書著之。百人抗浮,不若一人挈而趨。物固有眾而不若少者,引車者二六而後之。事固有相待而成者,両人倶溺,不能相拯,一人処陸則可矣。故同不可相治,必待異而後成。千年之松,下有茯苓,上有兔糸;上有叢蓍,下有伏亀;聖人従外知内,以見知隠也。喜武非俠也,喜文非儒也,好方非医也,好馬非騶也,知音非瞽也,知味非庖也,此有一概而未得主名也。被甲者,非為十歩之内也,百歩之外則争深浅,深則達五蔵,浅則至膚而止矣。死生相去,不可為道里。

書き下し

人に多言なる者有るは、猶お百舌の聲のごとし。人に少言なる者有るは、猶お脂さざるの戶のごときなり。六畜 生じて耳目多き者は詳ならず。讖書 之を著す。百人 浮を抗ぐるは、一人 挈げて趨るに若かず。物 固より眾くして少なきに若かざる者有り。車を引く者は二六にして之に後る。事 固より相い待ちて成る者有り。兩人 俱に溺るれば、相い拯う能わず。一人 陸に處らば則ち可なり。故に同は相い治む可からず、必ず異を待ちて而る後に成る。千年の松は、下に茯苓有り、上に兔絲有り。上に叢蓍有れば、下に伏龜有り。聖人は外從り內を知り、見を以て隱を知るなり。武を喜ぶは俠に非ざるなり、文を喜ぶは儒に非ざるなり、方を好むは醫に非ざるなり、馬を好むは騶に非ざるなり、音を知るは瞽に非ざるなり、味を知るは庖に非ざるなり。此れ一概有りて未だ主名を得ざる者なり。甲を被る者は、十步の內の爲にするに非ざるなり。百步の外は則ち深淺を爭う。深ければ則ち五藏に達し、淺ければ則ち膚に至りて止まる。死生 相い去ること、道里を爲す可からず。

現代語訳

口数の多い人は、百舌鳥の声のようだ。口数の少ない人は、油を差していない戸のようだ。家畜に生まれつき耳や目の多いものは、めでたくない。予言の書がそう記している。百人で浮きを持ち上げるのは、一人がつかんで走るのに及ばない。物にはもともと、多いほうが少ないに及ばないものがある。車を引く者は十二人になるとかえって遅れる。事にはもともと、互いに待って成るものがある。二人がともに溺れれば、助け合えない。一人が陸にいればできる。だから同じもの同士では治め合えず、必ず異なるものを待ってはじめて成る。千年の松の下には茯苓があり、上には兎絲がある。上に蓍が茂っていれば、下に亀が伏している。聖人は外から内を知り、見えるもので隠れたものを知る。武を好むのは侠ではない。文を好むのは儒ではない。処方を好むのは医ではない。馬を好むのは馬丁ではない。音が分かるのは楽師ではない。味が分かるのは料理人ではない。これは大まかな傾向があるだけで、まだその名を得ていない者である。鎧を着るのは、十歩の内のためではない。百歩の外では、刺さる深さを争う。深ければ五臓に達し、浅ければ皮膚で止まる。生と死の隔たりは、距離では測れない。

解説

「百人 浮を抗ぐるは、一人 挈げて趨るに若かず」。人数が邪魔になる仕事がある、と。二人とも溺れていれば助け合えず、一人が陸にいれば助けられる。「同は相い治む可からず、必ず異を待ちて而る後に成る」。同質の集まりでは互いに扱えない、という前段からの主題の繰り返しです。後半の「武を喜ぶは俠に非ず」の列も鋭くて、好きであることと、そうであることは別だ、と。

この章句が説くこと

多言なる者は猶お百舌の声のごとし少言なる者は猶お脂さざるの戸のごとし百人浮を抗ぐるは一人挈げて趨るに若かず両人倶に溺るれば相い拯う能わず一人陸に処らば則ち可なり同は相い治む可からず必ず異を待ちて而る後に成る武を喜ぶは俠に非ず文を喜ぶは儒に非ず人数

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