淮南子 / 說山訓
執彈而招鳥,揮梲而呼狗,欲致之,顧反走。故魚不可以無餌釣也,獸不可以虛氣召也。剝牛皮,鞟以為鼓,正三軍之眾,然為牛計者,不若服於軛也。狐白之裘,天子被之而坐廟堂,然為狐計者,不若走於澤。亡羊而得牛,則莫不利失也;斷指而免頭,則莫不利為也。故人之情,於利之中則爭取大焉,於害之中則爭取小焉。將軍不敢騎白馬,亡者不敢夜揭炬,保者不敢畜噬狗。雞知將旦,鶴知夜半,而不免於鼎俎。山有猛獸,林木為之不斬;園有螫蟲,藜藿為之不采。為儒而踞里閭,為墨而朝吹竽,欲滅跡而走雪中,拯溺者而欲無濡,是非所行而行所非。
新字:執弾而招鳥,揮梲而呼狗,欲致之,顧反走。故魚不可以無餌釣也,獣不可以虚気召也。剝牛皮,鞟以為鼓,正三軍之眾,然為牛計者,不若服於軛也。狐白之裘,天子被之而坐廟堂,然為狐計者,不若走於沢。亡羊而得牛,則莫不利失也;断指而免頭,則莫不利為也。故人之情,於利之中則争取大焉,於害之中則争取小焉。将軍不敢騎白馬,亡者不敢夜掲炬,保者不敢畜噬狗。雞知将旦,鶴知夜半,而不免於鼎俎。山有猛獣,林木為之不斬;園有螫虫,藜藿為之不采。為儒而踞里閭,為墨而朝吹竽,欲滅跡而走雪中,拯溺者而欲無濡,是非所行而行所非。
書き下し
彈を執りて鳥を招き、梲を揮いて狗を呼び、之を致さんと欲するも、顧って反って走る。故に魚は餌無くして釣る可からざるなり。獸は虛氣もて召す可からざるなり。牛皮を剝ぎ、鞟して以て鼓と爲し、三軍の眾を正す。然れども牛の爲に計る者は、軛に服するに若かず。狐白の裘、天子 之を被て廟堂に坐す。然れども狐の爲に計る者は、澤に走るに若かず。羊を亡いて牛を得れば、則ち失を利とせざる莫し。指を斷ちて頭を免るれば、則ち爲すを利とせざる莫し。故に人の情、利の中に於いては則ち爭いて大を取り、害の中に於いては則ち爭いて小を取る。將軍は敢えて白馬に騎らず、亡ぐる者は敢えて夜に炬を揭げず、保つ者は敢えて噬狗を畜わず。雞は將に旦ならんとするを知り、鶴は夜半を知る。而も鼎俎を免れず。山に猛獸有れば、林木 之が爲に斬られず。園に螫蟲有れば、藜藿 之が爲に采られず。儒と爲りて里閭に踞し、墨と爲りて朝に竽を吹き、跡を滅せんと欲して雪中に走り、溺るる者を拯いて濡るる無からんと欲するは、是れ行う所に非ずして行う所を非とするなり。
現代語訳
弾き弓を手にして鳥を招き、棒を振って犬を呼び、来させようとしても、かえって逃げていく。だから魚は餌なしでは釣れない。獣は気合だけでは呼べない。牛の皮を剥ぎ、なめして太鼓にすれば、三軍の兵を整えられる。それでも牛のために考えるなら、軛につながれているほうがましである。白狐の裘は、天子がそれを着て廟堂に座る。それでも狐のために考えるなら、沢を走っているほうがましである。羊を失って牛を得たなら、失ったことを利としない者はない。指を断って首を免れたなら、そうしたことを利としない者はない。だから人の情として、利の中では争って大きいほうを取り、害の中では争って小さいほうを取る。将軍はあえて白馬に乗らず、逃げる者はあえて夜に松明を掲げず、身を守る者はあえて噛む犬を飼わない。鶏は夜明けが近いことを知り、鶴は夜半を知る。それでも鍋と俎を免れない。山に猛獣がいれば、林の木はそのために伐られない。園に刺す虫がいれば、草はそのために摘まれない。儒者でありながら村の辻にしゃがみ、墨者でありながら朝に笛を吹き、足跡を消そうとして雪の中を走り、溺れる者を助けながら濡れまいとするのは、行うべきでないことを行って、行うべきことを非とすることである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
孟子・離婁章句下孟子曰く、「以て取る可く、以て取る無かる可し。取れば廉を傷つく。以て與う可く、以て與うる無かる可し。與うれば惠を傷つく。以て死す可く、以て死する無かる可し。死すれば勇を傷つく。」
-
うひ山ぶみ・第八段然はあれども、まづかの学のしなじなは、他よりしひて、それをとはいひがたし、大抵みづから思ひよれる方にまかすべき也、
-
孫子・行軍篇之を令するに文を以てし、之を斉うるに武を以てす。是を必取と謂う。
-
うひ山ぶみ・第七段同じく精力を用ひながらも、そのすぢそのまなびやうによりて、得失あるべきこと也、
-
論語・述而篇子曰く、奢れば則ち不孫、倹なれば則ち固なり。其の不孫ならんよりは、寧ろ固なれ。
-
孟子・告子章句上孟子曰く、「魚は我が欲する所なり。熊掌も亦た我が欲する所なり。二者兼ぬるを得可からずんば、魚を舍てて熊掌を取る者なり。生も亦た我が欲する所なり。義も亦た我が欲する所なり。二者兼ぬるを得可からずんば、生を舎てて義を取る者なり。生も亦た我が欲する所なれども、欲する所生より甚だしき者有り。故に苟くも得るを為さざるなり。死も亦た我が惡む所なれども、惡む所死より甚だしき者有り。故に患も辟けざる所有るなり。如し人の欲する所をして生より甚だしきもの莫からしめば、則ち凡そ以て生を得可き者は、何ぞ用いざらんや。人の惡む所をして死より甚だしき者莫からしめば、則ち凡そ以て患いを辟く可き者は、何ぞ為さざらんや。是に由れば則ち生くるも、而も用いざること有るなり。是に由れば則ち以て患いを辟く可きも、而も為さざること有るなり。是の故に欲する所、生より甚だしき者有り、惡む所、死より甚だしき者有り。獨り賢者のみ是の心有るに非ざるなり。人皆之れ有り。賢者は能く喪うこと勿きのみ。一簞の食、一豆の羹も、之を得れば則ち生き、得ざれば則ち死す。嘑爾(コ・ジ)として之を與うれば、道を行くの人も受けず。蹴爾として之を與うれば、乞人も屑(いさぎよい)しとせざるなり。萬鍾は則ち禮義を辨ぜずして之を受く。萬鍾は我に於て何をか加えん。宮室の美・妻妾の奉・識る所の窮乏者の我に得るが為か。ᰰには身の死するが為にして受けず。今は宮室の美の為に之を為す。ᰰには身の死するが為にして受けず。今は妻妾の奉の為に之を為す。ᰰには身の死するが為にして受けず。今は識る所の窮乏者の我に得るが為にして之を為す。是れ亦た以て已む可からざるか。此を之れ其の本心を失うと謂う。」