淮南子 / 說山訓
髡屯犁牛,既犐以㹋,決鼻而羈,生子而犧,尸祝齊戒以沉諸河,河伯豈羞其所從出,辭而不享哉!得萬人之兵,不如聞一言之當。得隋侯之珠,不若得事之所由。得咼氏之璧,不若得事之所適。撰良馬者,非以逐狐狸,將以射麋鹿。砥利劍者,非以斬縞衣,將以斷兕犀。故「高山仰止,景行行止」,鄉者其人。
新字:髡屯犁牛,既犐以㹋,決鼻而羈,生子而犠,尸祝斉戒以沈諸河,河伯豈羞其所従出,辞而不享哉!得万人之兵,不如聞一言之当。得隋侯之珠,不若得事之所由。得咼氏之璧,不若得事之所適。撰良馬者,非以逐狐狸,将以射麋鹿。砥利剣者,非以斬縞衣,将以断兕犀。故「高山仰止,景行行止」,鄉者其人。
書き下し
髡屯犁牛、既に犐にして㹋を以てし、鼻を決して羈す。子を生みて犧と爲る。尸祝 齊戒して以て諸を河に沉む。河伯 豈に其の從りて出づる所を羞じて、辭して享けざらんや。萬人の兵を得るは、一言の當たるを聞くに如かず。隋侯の珠を得るは、事の由りて來たる所を得るに若かず。咼氏の璧を得るは、事の適する所を得るに若かず。良馬を撰ぶ者は、以て狐狸を逐うに非ず。將に以て麋鹿を射んとするなり。利劍を砥ぐ者は、以て縞衣を斬るに非ず。將に以て兕犀を斷たんとするなり。故に「高山 仰ぎ止み、景行 行き止む」とは、其の人を鄉うなり。
現代語訳
毛の抜けた斑牛は、角も落ちて紐で鼻を通されて繋がれている。だがその子が犠牲の牛となる。祭りの役が斎戒して、それを河に沈める。河伯がどうしてその出どころを恥じて、受け取らずにいようか。万人の兵を得るのは、当たった一言を聞くのに及ばない。隋侯の珠を得るのは、事がどこから来たかを知るのに及ばない。咼氏の璧を得るのは、事のふさわしいところを知るのに及ばない。良い馬を選ぶのは、狐や狸を追うためではない。大鹿を射るためである。鋭い剣を研ぐのは、絹の衣を斬るためではない。犀の革を断つためである。だから「高い山は仰ぎ見て止まり、大きな道は歩いて止む」というのは、その人を慕うということである。
解説
毛の抜けた斑牛の子でも、祭りの犠牲として河に沈められる。「河伯 豈に其の從りて出づる所を羞じて、辭して享けざらんや」。出どころで値打ちは決まらない、と。続く三つの比較が要点です。万人の兵より当たった一言、名玉より事の出どころ、名璧より事のふさわしさ。持てる物より、分かることのほうを上に置いています。
この章句が説くこと
髡屯犁牛子を生みて犠と為る河伯豈に其の従りて出づる所を羞じて辞して享けざらんや万人の兵を得るは一言の当たるを聞くに如かず隋侯の珠を得るは事の由りて来たる所を得るに若かず良馬を撰ぶ者は以て狐狸を逐うに非ず将に以て麋鹿を射んとするなり出自
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