淮南子 / 說山訓
春貸秋賦民皆欣,春賦秋貸眾皆怨;得失同,喜怒為別,其時異也。為魚德者,非挈而入淵,為蝯賜者,非負而緣木,縱之其所而已。貂裘而雜,不若狐裘而粹,故人莫惡於無常行。有相馬而失馬者,然良馬猶在相之中。今人放燒,或操火往益之,或接水往救之,兩者皆未有功,而怨德相去亦遠矣。郢人有買屋棟者,求大三圍之木,而人予車轂,跪而度之,巨雖可,而修不足。蘧伯玉以德化,公孫鞅以刑罪,所極一也。病者寢席,醫之用針石,巫之用糈藉,所救鈞也。
新字:春貸秋賦民皆欣,春賦秋貸衆皆怨;得失同,喜怒為別,其時異也。為魚徳者,非挈而入淵,為蝯賜者,非負而縁木,縦之其所而已。貂裘而雑,不若狐裘而粋,故人莫悪於無常行。有相馬而失馬者,然良馬猶在相之中。今人放焼,或操火往益之,或接水往救之,両者皆未有功,而怨徳相去亦遠矣。郢人有買屋棟者,求大三囲之木,而人予車轂,跪而度之,巨雖可,而修不足。蘧伯玉以徳化,公孫鞅以刑罪,所極一也。病者寝席,医之用針石,巫之用糈藉,所救鈞也。
書き下し
春に貸して秋に賦すれば民 皆な欣び、春に賦して秋に貸せば眾 皆な怨む。得失 同じきも、喜怒 別を爲すは、其の時 異なればなり。魚の爲に德を爲す者は、挈げて淵に入るに非ず。蝯の爲に賜を爲す者は、負いて木に緣るに非ず。之を其の所に縱つのみ。貂裘にして雜なるは、狐裘にして粹なるに若かず。故に人 無常の行より惡むは莫し。馬を相して馬を失う者有り。然れども良馬は猶お相の中に在り。今 人 燒を放つに、或いは火を操りて往きて之を益し、或いは水を接いで往きて之を救う。兩つの者 皆な未だ功有らざるも、怨德 相い去ること亦た遠し。郢人に屋棟を買う者有り。大いさ三圍の木を求むるに、人 車轂を予う。跪きて之を度るに、巨は可なりと雖も、修 足らず。蘧伯玉は德を以て化し、公孫鞅は刑罪を以てす。極まる所は一なり。病者 席に寢ぬるに、醫の針石を用うると、巫の糈藉を用うるとは、救う所 鈞しきなり。
現代語訳
春に貸して秋に取り立てれば民はみな喜び、春に取り立てて秋に貸せば人々はみな怨む。やり取りする量は同じなのに、喜びと怒りが分かれるのは、時が違うからである。魚に恩を施す者は、抱えて淵に入るのではない。猿に恵む者は、背負って木に登るのではない。それぞれの場所に放つだけである。貂の皮衣で継ぎはぎなのは、狐の皮衣で一色なのに及ばない。だから人が、定まりのない行いほど嫌うものはない。馬を見立てて馬を取り逃がした者がいる。それでも良い馬は、その見立ての中にはあった。いま人が野に火を放ったとき、ある者は火を持って行ってそれを増やし、ある者は水を運んで消しに行く。どちらもまだ効きめはないが、怨まれるか感謝されるかの隔たりは大きい。郢の人で家の棟木を買う者がいた。三かかえの太さの木を求めたのに、車の轂を渡された。ひざまずいて測ると、太さは足りていても、長さが足りない。蘧伯玉は徳によって感化し、公孫鞅は刑罰によった。行き着くところは同じである。病人が床についているとき、医者が針や石を用いるのと、巫が供物を用いるのとは、救おうとする点では等しい。
解説
この章句が説くこと
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史記 田敬仲完世家田忌曰く、「救はずんば、則ち韓且に折れて魏に入らんとす。蚤く之を救ふに如かず」と。孫子曰く、「夫れ韓・魏の兵未だ獘れずして之を救はば、是れ吾韓に代はりて魏の兵を受け、顧って反りて命を韓に聴くなり。且つ魏に国を破るの志有り。韓亡びんとするを見ば、必ず東面して斉に愬へん。吾因りて深く韓の親しみを結びて晩く魏の獘を承けば、則ち利を重ねて尊名を得べきなり」と。宣王曰く、「善し」と。乃ち陰かに韓の使者に告げて之を遣る。韓因りて斉を恃み、五たび戦ひて勝たず、東のかた国を斉に委ぬ。斉因りて兵を起こし、田忌・田嬰をして将たらしめ、孫子を師と為し、韓・趙を救ひて以て魏を撃ち、大いに之を馬陵に敗り、其の将龐涓を殺し、魏の太子申を虜にす。其の後三晋の王皆田嬰に因りて斉王に博望に朝し、盟ひて去る。七年、魏王と平阿の南に会す。明年、復た甄に会す。魏の恵王卒す。明年、魏の襄王と徐州に会し、諸侯相王とす。十年、楚我が徐州を囲む。十一年、魏と趙を伐つ。趙河水を決して斉・魏に灌ぐ。兵罷む。十八年、秦の恵王王と称す。宣王文学游説の士を喜ぶ。騶衍・淳于髡・田駢・接子・慎到・環淵の徒の如きより七十六人、皆列第を賜ひ、上大夫と為し、治めずして議論せしむ。是を以て斉の稷下の学士復た盛んにして、且に数百千人ならんとす。十九年、宣王卒し、子湣王地立つ。湣王元年、秦張儀をして諸侯の執政と齧桑に会せしむ。三年、田嬰を薛に封ず。四年、婦を秦に迎ふ。七年、宋と魏を攻め、之を観沢に敗る。十二年、魏を攻む。楚雍氏を囲む。秦屈丐を敗る。蘇代、田軫に謂ひて曰く、「臣願はくは公に謁する有らん。其の事を為すこと甚だ完し。楚をして公を利せしめ、成れば福と為り、成らずとも亦福と為さん。
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『呻吟語』内篇・問學・日落ちて城門に趕る日落ちて城門に趕る。一腳遲ければ便ち關ざされたり。何處にか止宿せん。故に學は時に及ぶを貴ぶ。懸崖に孤樹を抱く。一手鬆かなれば便ち脫れたり。何處にか身を落とさん。故に學は力を著くるを貴ぶ。故に老大に傷悲するも、時を追はんと要せば除は是れ再生なり。既に將に得んとするに失ふも、仍前ならんと要せば除は是れ頭より從ふなり。
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史記 周本紀明年、犬戎を伐つ。明年、密須を伐つ。明年、耆国を敗る。殷の祖伊之を聞き、懼れて、以て帝紂に告ぐ。紂曰く、「天命有らずや。是れ何をか能く為さん」と。明年、邘を伐つ。明年、崇侯虎を伐つ。而して豊邑を作り、岐下より徙りて豊に都す。明年、西伯崩じ、太子発立つ。是を武王と為す。西伯蓋し即位五十年。其の羑里に囚はるるや、蓋し易の八卦を益して六十四卦と為す。詩人西伯を道ふに、蓋し命を受けし年に王を称して虞・芮の訟を断ずと。後十年にして崩じ、謚して文王と為す。法度を改め、正朔を制す。古公を追尊して太王と為し、公季を王季と為す。蓋し王の瑞は太王より興る。武王即位し、太公望を師と為し、周公旦を輔と為し、召公・畢公の徒王を左右し、師として文王の緒業を修む。九年、武王上りて畢に祭る。東のかた兵を観し、盟津に至る。文王の木主を為り、載するに車を以てし、中軍とす。武王自ら太子発と称し、文王を奉じて以て伐つと言ひ、敢へて自ら専らにせず。乃ち司馬・司徒・司空・諸節に告ぐ、「斉栗せよ、信なるかな。予無知なれども、先祖に徳臣有るを以て、小子先功を受け、畢く賞罰を立て、以て其の功を定めん」と。遂に師を興す。師尚父号して曰く、「爾の衆庶を総べ、爾の舟楫を与にせよ。後れて至る者は斬らん」と。武王河を渡り、中流にして、白魚躍りて王の舟中に入る。武王俯して取りて以て祭る。既に渡るに、火有りて上より下に復り、王屋に至りて、流れて烏と為る。其の色赤く、其の声魄なりと云ふ。是の時、諸侯期せずして盟津に会する者八百諸侯。諸侯皆曰く、「紂伐つ可し」と。武王曰く、「女未だ天命を知らず、未だ可ならず」と。乃ち師を還して帰る。居ること二年、紂の昏乱暴虐滋甚だしく、王子比干を殺し、箕子を囚ふと聞く。太師疵・少師彊其の楽器を抱きて周に奔る。
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人生を、一行の式にしてみた。
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