淮南子 / 說山訓
人有昆弟相分者,無量,而眾稱義焉。夫惟無量,故不可得而量也。登高使人欲望,臨深使人欲闚,處使然也。射者使人端,釣者使人恭,事使然也。曰殺罷牛可以贖良馬之死,莫之為也。殺牛,必亡之數,以必亡贖不必死,未能行之者矣。季孫氏劫公家,孔子說之,先順其所為,而後與之入政,曰:「舉枉與直,如何而不得?舉直與枉,勿與遂往。」此所謂同污而異塗者。眾曲不容直,眾枉不容正,故人眾則食狼,狼眾則食人。欲為邪者必相明正,欲為曲者必相達直。公道不立,私欲得容者,自古及今,未嘗聞也。此以善託其醜。眾議成林,無翼而飛,三人成市虎,一里能撓椎。
新字:人有昆弟相分者,無量,而眾称義焉。夫惟無量,故不可得而量也。登高使人欲望,臨深使人欲闚,処使然也。射者使人端,釣者使人恭,事使然也。曰殺罷牛可以贖良馬之死,莫之為也。殺牛,必亡之数,以必亡贖不必死,未能行之者矣。季孫氏劫公家,孔子説之,先順其所為,而後与之入政,曰:「舉枉与直,如何而不得?舉直与枉,勿与遂往。」此所謂同污而異塗者。眾曲不容直,眾枉不容正,故人眾則食狼,狼眾則食人。欲為邪者必相明正,欲為曲者必相達直。公道不立,私欲得容者,自古及今,未嘗聞也。此以善託其醜。眾議成林,無翼而飛,三人成市虎,一里能撓椎。
書き下し
人に昆弟 相い分かつ者有り。量無くして、眾 義と稱す。夫れ惟だ量無し、故に得て量る可からざるなり。高きに登れば人をして望まんと欲せしめ、深きに臨めば人をして闚わんと欲せしむ。處 然らしむるなり。射る者は人をして端ならしめ、釣る者は人をして恭ならしむ。事 然らしむるなり。曰く、罷牛を殺せば以て良馬の死を贖う可し、と。之を爲す莫きなり。牛を殺すは、必亡の數なり。必亡を以て不必死を贖うは、未だ之を行う能わざる者なり。季孫氏 公家を劫かす。孔子 之に說くに、先ず其の爲す所に順いて、而る後に之と政に入る。曰く、「枉を舉げて直に與すれば、如何ぞ得ざらん。直を舉げて枉に與すれば、與に遂に往く勿かれ」と。此れ所謂 汙を同じくして塗を異にする者なり。眾曲は直を容れず、眾枉は正を容れず。故に人 眾ければ則ち狼を食い、狼 眾ければ則ち人を食う。邪を爲さんと欲する者は必ず相い正を明らかにし、曲を爲さんと欲する者は必ず相い直を達す。公道 立たずして、私欲 容るるを得る者は、古より今に及ぶまで、未だ嘗て聞かざるなり。此れ善を以て其の醜に託するなり。眾議は林を成し、翼無くして飛び、三人 市虎を成し、一里 能く椎を撓む。
現代語訳
兄弟で財を分けた者がいた。分量を計らなかったので、人々は義だと称えた。計らなかったからこそ、量りようがないのである。高いところに登れば人は遠くを望みたくなり、深いところに臨めば覗きたくなる。場所がそうさせるのである。射る者は人を端正にし、釣る者は人を恭しくする。事がそうさせるのである。こう言われる、痩せた牛を殺せば良馬の死を贖える、と。誰もそうしない。牛を殺すのは確実に失うことである。確実に失うもので、必ず死ぬとは限らないものを贖うことは、誰も行えない。季孫氏が公室を脅かした。孔子はそれに説くのに、まずその行うところに従い、そのうえで政に加わった。こう言った、「曲がった者を挙げてまっすぐな者と組ませれば、どうして得られないことがあろう。まっすぐな者を挙げて曲がった者と組ませるなら、ともに行き着くところまでは行かせるな」。これがいわゆる、汚れを同じくして道を異にするということである。多くの曲がりは真っすぐを容れず、多くの歪みは正しさを容れない。だから人が多ければ狼を食い、狼が多ければ人を食う。邪を行おうとする者は必ず互いに正しさを掲げ、曲がったことをしようとする者は必ず互いに真っすぐを説く。公の道が立っていないのに私欲が容れられた例は、古今に聞いたことがない。これは善によって醜さを覆っているのである。多くの議論は林をなし、翼がないのに飛び、三人が言えば市に虎が出たことになり、一里の人手は椎を曲げる。
解説
この章句が説くこと
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