淮南子 / 說山訓
巧者善度,知者善豫。羿死桃部,不給射;慶忌死劍鋒,不給搏。滅非者戶告之曰:「我實不與我諛亂。」謗乃愈起。止言以言,止事以事,譬猶揚堁而弭塵,抱薪而救火。流言雪汙,譬猶以涅拭素也。矢之於十步貫兕甲,於三百步不能入魯縞;騏驥一日千里,其出致釋駕而僵。大家攻小家則為暴,大國并小國則為賢。小馬非大馬之類也,小知非大知之類也。被羊裘而賃,固其事也;貂裘而負籠,甚可怪也。以潔白為汙辱,譬猶沐浴而抒溷,薰燧而負彘。治疽不擇善惡醜肉而并割之,農夫不察苗莠而并耘之,豈不虛哉!
新字:巧者善度,知者善予。羿死桃部,不給射;慶忌死剣鋒,不給搏。滅非者戸告之曰:「我実不与我諛乱。」謗乃愈起。止言以言,止事以事,譬猶揚堁而弭塵,抱薪而救火。流言雪汙,譬猶以涅拭素也。矢之於十歩貫兕甲,於三百歩不能入魯縞;騏驥一日千里,其出致釈駕而僵。大家攻小家則為暴,大国并小国則為賢。小馬非大馬之類也,小知非大知之類也。被羊裘而賃,固其事也;貂裘而負籠,甚可怪也。以潔白為汙辱,譬猶沐浴而抒溷,薫燧而負彘。治疽不択善悪醜肉而并割之,農夫不察苗莠而并耘之,豈不虚哉!
書き下し
巧者は善く度り、知者は善く豫す。羿は桃部に死して、射るに給せず。慶忌は劍鋒に死して、搏つに給せず。非を滅する者 戶ごとに之に告げて曰く、「我 實に我が諛亂に與らず」と。謗 乃ち愈々起こる。言を以て言を止め、事を以て事を止むるは、譬えば猶お堁を揚げて塵を弭め、薪を抱きて火を救うがごとし。流言もて汙を雪ぐは、譬えば猶お涅を以て素を拭うがごとし。矢の十步に於けるや兕甲を貫き、三百步に於けるや魯縞に入る能わず。騏驥は一日千里なるも、其の出でて致すや駕を釋きて僵る。大家 小家を攻むれば則ち暴と爲し、大國 小國を并すれば則ち賢と爲す。小馬は大馬の類に非ざるなり、小知は大知の類に非ざるなり。羊裘を被て賃するは、固より其の事なり。貂裘して籠を負うは、甚だ怪しむ可し。潔白を以て汙辱と爲すは、譬えば猶お沐浴して溷を抒み、薰燧して彘を負うがごとし。疽を治むるに善惡醜肉を擇ばずして并せて之を割き、農夫 苗莠を察せずして并せて之を耘る。豈に虛しからずや。
現代語訳
巧みな者はよく測り、知恵ある者はよく先を見る。羿は桃の棒に打たれて死に、弓を射る暇がなかった。慶忌は剣の切っ先に死に、打つ暇がなかった。悪評を消そうとする者が、家々に触れて回って言う、「私は本当に、へつらいや乱れに関わっていない」。すると謗りはますます強くなる。言葉で言葉を止め、事で事を止めるのは、たとえば土ぼこりを舞い上げて塵を鎮め、薪を抱えて火を消しに行くようなものだ。噂で汚れをすすぐのは、黒い染料で白い布を拭くようなものだ。矢は十歩なら犀の鎧を貫くが、三百歩では魯の薄絹にも入らない。駿馬は一日に千里を行くが、着けば軛を外されて倒れ込む。大きな家が小さな家を攻めれば乱暴とされ、大きな国が小さな国を併せれば賢明とされる。小さな馬は大きな馬の類ではなく、小さな知は大きな知の類ではない。羊の皮衣を着て日雇いをするのは、もとよりその仕事に合っている。貂の皮衣で籠を背負うのは、たいそう不審である。潔白であることを恥だとするのは、たとえば湯浴みしてから汚水を汲み、香を焚いてから豚を背負うようなものだ。腫れ物を治すのに良い肉と悪い肉を選ばず一緒に切り取り、農夫が苗と雑草を見分けずに一緒に刈り取る。空しいことではないか。
解説
この章句が説くこと
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