淮南子 / 說山訓
人不小學,不大迷;不小慧,不大愚。人莫鑑於沫雨,而鑑於澄水者,以其休止不蕩也。詹公之釣,千歲之鯉不能避;曾子攀柩車,引輴者為之止也;老母行歌而動申喜,精之至也。瓠巴鼓瑟,而淫魚出聽;伯牙鼓琴,駟馬仰秣;介子歌龍蛇,而文君垂泣。故玉在山而草木潤,淵生珠而岸不枯。螾無筋骨之強,爪牙之利,上食晞堁,下飲黃泉,用心一也。清之為明,杯水見眸子;濁之為闇,河水不見太山。視日者眩,聽雷者聾,人無為則治,有為則傷。
新字:人不小学,不大迷;不小慧,不大愚。人莫鑑於沫雨,而鑑於澄水者,以其休止不蕩也。詹公之釣,千歳之鯉不能避;曽子攀柩車,引輴者為之止也;老母行歌而動申喜,精之至也。瓠巴鼓瑟,而淫魚出聴;伯牙鼓琴,駟馬仰秣;介子歌竜蛇,而文君垂泣。故玉在山而草木潤,淵生珠而岸不枯。螾無筋骨之強,爪牙之利,上食晞堁,下飲黄泉,用心一也。清之為明,杯水見眸子;濁之為闇,河水不見太山。視日者眩,聴雷者聾,人無為則治,有為則傷。
書き下し
人 小しく學ばざれば、大いに迷わず。小しく慧からざれば、大いに愚ならず。人 沫雨に鑑みずして、澄水に鑑みる者は、其の休止して蕩がざるを以てなり。詹公の釣は、千歲の鯉も避くる能わず。曾子 柩車に攀じて、輴を引く者 之が爲に止まる。老母 行歌して申喜を動かすは、精の至れるなり。瓠巴 瑟を鼓して、淫魚 出でて聽く。伯牙 琴を鼓して、駟馬 仰ぎて秣う。介子 龍蛇を歌いて、文君 垂泣す。故に玉 山に在りて草木 潤い、淵 珠を生じて岸 枯れず。螾に筋骨の強、爪牙の利無きも、上は晞堁を食らい、下は黃泉を飲むは、心を用うること一なればなり。清の明たる、杯水も眸子を見る。濁の闇たる、河水も太山を見ず。日を視る者は眩み、雷を聽く者は聾す。人 無爲なれば則ち治まり、有爲なれば則ち傷る。
現代語訳
人は少し学ばなければ、大いに迷うことはない。少し賢くなければ、大いに愚かになることもない。人が波立つ雨水に姿を映さず澄んだ水に映すのは、それが止まって揺れていないからである。詹公の釣りは、千年の鯉でも避けられない。曾子が柩の車に取りついたとき、車を引く者はそのために止まった。老いた母が歌いながら行くと申喜が心を動かされたのは、精のきわまりである。瓠巴が瑟を弾くと、魚が水から出て聴いた。伯牙が琴を弾くと、馬が顔を上げて飼葉を食べた。介子が龍蛇の歌を歌うと、文公は涙を流した。玉が山にあれば草木が潤い、淵が珠を生めば岸が枯れない。みみずには強い筋骨も鋭い爪牙もないのに、上は乾いた土を食べ下は地下水を飲めるのは、心の用い方が一つだからである。清らかさが明るさになるのは、杯一杯の水でも瞳を映すからである。濁りが暗さになるのは、大河の水でも泰山を映さないからである。日を見つめる者は眩み、雷を聴く者は耳が聞こえなくなる。人は何もしなければ治まり、何かをすれば損なう。
解説
この章句が説くこと
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