淮南子 / 說山訓
水定則清正,動則失平。故惟不動,則所以無不動也。江、河所以能長百谷者,能下之也。夫惟能下之,是以能上之。天下莫相憎於膠漆,而莫相愛於冰炭。膠漆相賊,冰炭相息也。牆之壞,愈其立也,冰之泮,愈其凝也,以其反宗。泰山之容,巍巍然高,去之千里,不見埵堁,遠之故也。
新字:水定則清正,動則失平。故惟不動,則所以無不動也。江、河所以能長百谷者,能下之也。夫惟能下之,是以能上之。天下莫相憎於膠漆,而莫相愛於冰炭。膠漆相賊,冰炭相息也。牆之壊,愈其立也,冰之泮,愈其凝也,以其反宗。泰山之容,巍巍然高,去之千里,不見埵堁,遠之故也。
書き下し
水 定まれば則ち清正、動けば則ち平を失う。故に惟だ動かざれば、則ち動かざる所無き所以なり。江・河の能く百谷に長たる所以の者は、能く之に下ればなり。夫れ惟だ能く之に下る、是を以て能く之に上るなり。天下 膠漆より相い憎むは莫くして、冰炭より相い愛するは莫し。膠漆は相い賊ない、冰炭は相い息えばなり。牆の壞るるは、其の立つに愈り、冰の泮くるは、其の凝るに愈る。其の宗に反ればなり。泰山の容は、巍巍然として高し。之を去ること千里なれば、埵堁を見ず。遠きの故なり。
現代語訳
水は静まれば清く正しく、動けば平らかさを失う。だからただ動かなければ、動かないところがないという働きになる。長江と黄河が多くの谷の長でいられるのは、それらより低くいられるからである。低くいられるから、上に立てる。天下で膠と漆ほど憎み合うものはなく、氷と炭ほど愛し合うものはない。膠と漆は互いを損ない、氷と炭は互いを消し合うからである。垣が壊れるのは、立っているよりましである。氷が解けるのは、凍っているよりましである。もとに返るからである。泰山の姿は高くそびえている。千里離れれば、土の起伏も見えない。遠いからである。
解説
膠と漆はよく混ざるのに「相い憎む」といい、氷と炭は打ち消し合うのに「相い愛する」という。逆説に見えますが、混ざって互いを損なうか、触れて互いに消えて元に返るかの違いです。だから垣が壊れるのは立っているよりまし、氷が解けるのは凍っているよりまし。「其の宗に反ればなり」。もとに返る側を良しとする見方が、一貫しています。
この章句が説くこと
水定まれば則ち清正動けば則ち平を失う江・河の能く百谷に長たる所以の者は能く之に下ればなり天下膠漆より相い憎むは莫くして冰炭より相い愛するは莫し牆の壊るるは其の立つに愈り冰の泮くるは其の凝るに愈る其の宗に反ればなり泰山の容は之を去ること千里なれば埵堁を見ず逆説
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