淮南子 / 說山訓
今曰稻生於水,而不能生於湍瀨之流;紫芝生於山,而不能生於盤石之上;慈石能引鐵,及其於銅,則不行也。水廣者魚大,山高者木脩。廣其地而薄其德,譬猶陶人為器也,揲挻其土而不益厚,破乃愈疾。聖人不先風吹,不先雷毀,不得已而動,故無累。月盛衰於上,則蠃蛖應於下,同氣相動,不可以為遠。
新字:今曰稲生於水,而不能生於湍瀨之流;紫芝生於山,而不能生於盤石之上;慈石能引鉄,及其於銅,則不行也。水広者魚大,山高者木脩。広其地而薄其徳,譬猶陶人為器也,揲挻其土而不益厚,破乃愈疾。聖人不先風吹,不先雷毀,不得已而動,故無累。月盛衰於上,則蠃蛖応於下,同気相動,不可以為遠。
書き下し
今 曰く、稻は水に生ずるも、湍瀨の流れに生ずる能わず。紫芝は山に生ずるも、盤石の上に生ずる能わず。慈石は能く鐵を引くも、其の銅に於けるに及びては、則ち行われざるなり。水 廣き者は魚 大に、山 高き者は木 脩し。其の地を廣くして其の德を薄くするは、譬えば猶お陶人の器を爲るがごときなり。其の土を揲挻して厚きを益さざれば、破るること乃ち愈々疾し。聖人は風に先んじて吹かず、雷に先んじて毀たず。已むを得ずして動く。故に累無し。月 上に盛衰すれば、則ち蠃蛖 下に應ず。同氣 相い動く。以て遠しと爲す可からず。
現代語訳
こう言う。稲は水に生えるが、速い瀬の流れには育たない。紫芝は山に生えるが、大きな岩の上には生えない。磁石は鉄を引くが、銅に対しては働かない。水の広いところでは魚が大きく、山の高いところでは木が長い。その土地を広げてその徳を薄くするのは、たとえば陶工が器を作るようなものだ。土を延ばして厚みを増さなければ、割れるのがますます早くなる。聖人は風より先に吹かず、雷より先に壊さない。やむを得ないときに動く。だから煩いがない。月が上で満ち欠けすれば、貝は下でそれに応じる。同じ気は互いに動く。遠いからといって及ばないわけではない。
解説
水があれば稲が育つわけではなく、急流では駄目。磁石は鉄は引くが銅は引かない。条件が合うことと、材料があることは別だ、という並びです。中でも陶工の喩えが効きます。「其の土を揲挻して厚きを益さざれば、破るること乃ち愈々疾し」。同じ量の土のまま器を大きくすれば、薄くなって早く割れる。地を広げて徳を薄くすることの絵になっています。
この章句が説くこと
稲は水に生ずるも湍瀨の流れに生ずる能わず慈石は能く鉄を引くも其の銅に於けるに及びては則ち行われざるなり其の地を広くして其の徳を薄くするは譬えば猶お陶人の器を為るがごとし其の土を揲挻して厚きを益さざれば破るること乃ち愈々疾し聖人は風に先んじて吹かず雷に先んじて毀たず已むを得ずして動く条件
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