淮南子 / 說山訓
秋豪之末,淪於不測。是故小不可以為內者,大不可以為外矣。蘭生幽谷,不為莫服而不芳。舟在江海,不為莫乘而不浮。君子行義,不為莫知而止休。夫玉潤澤而有光,其聲舒揚,渙乎其有似也。無內無外,不匿瑕穢,近之而濡,望之而隧。夫照鏡見眸子,微察秋豪,明照晦冥。故和氏之璧,隨侯之珠,出於山淵之精,君子服之,順祥以安寧,侯王寶之,為天下正。陳成子恒之劫子淵捷也,子罕之辭其所不欲而得其所欲,孔子之見黏蟬者,白公勝之倒杖策也,衛姬之請罪於桓公,子見子夏曰「何肥也」,魏文侯見之反被裘而負芻也,兒說之為宋王解閉結也,此皆微眇可以觀論者。
新字:秋豪之末,淪於不測。是故小不可以為内者,大不可以為外矣。蘭生幽谷,不為莫服而不芳。舟在江海,不為莫乗而不浮。君子行義,不為莫知而止休。夫玉潤沢而有光,其声舒揚,渙乎其有似也。無内無外,不匿瑕穢,近之而濡,望之而隧。夫照鏡見眸子,微察秋豪,明照晦冥。故和氏之璧,随侯之珠,出於山淵之精,君子服之,順祥以安寧,侯王宝之,為天下正。陳成子恒之劫子淵捷也,子罕之辞其所不欲而得其所欲,孔子之見黏蝉者,白公勝之倒杖策也,衛姫之請罪於桓公,子見子夏曰「何肥也」,魏文侯見之反被裘而負芻也,児説之為宋王解閉結也,此皆微眇可以観論者。
書き下し
秋豪の末は、不測に淪む。是の故に小にして以て內と爲す可からざる者は、大にして以て外と爲す可からず。蘭 幽谷に生ずるも、服する莫きが爲に芳しからずんばあらず。舟 江海に在るも、乘る莫きが爲に浮かばずんばあらず。君子 義を行うは、知る莫きが爲に止休せず。夫れ玉は潤澤にして光有り、其の聲 舒揚たり。渙乎として其れ似たる有り。內無く外無く、瑕穢を匿さず、之に近づけば濡い、之を望めば隧し。夫れ鏡に照らせば眸子を見、微かに秋豪を察し、明らかに晦冥を照らす。故に和氏の璧、隨侯の珠は、山淵の精より出づ。君子 之を服すれば、順祥にして以て安寧なり。侯王 之を寶とすれば、天下の爲に正しからん。陳成子恒の子淵捷を劫かすや、子罕の其の欲せざる所を辭して其の欲する所を得るや、孔子の黏蟬する者を見るや、白公勝の杖策を倒にするや、衛姬の罪を桓公に請うや、子 子夏を見て「何ぞ肥えたるや」と曰えるや、魏文侯の之が裘を反り被て芻を負うを見るや、兒說の宋王の爲に閉結を解くや、此れ皆な微眇にして以て觀論す可き者なり。
現代語訳
秋の毛の先は、測れないところに沈む。だから小さくてこれ以上内がないものは、大きくてこれ以上外がないものでもある。蘭は奥深い谷に生えても、身につける人がいないからといって香らないわけではない。舟は川や海にあっても、乗る人がいないからといって浮かばないわけではない。君子が義を行うのは、知る人がいないからといってやめない。玉は潤いがあって光があり、その音はのびやかである。ゆったりとして似たところがある。内も外もなく、傷や汚れを隠さず、近づけば潤い、遠くから望めば奥深い。鏡に照らせば瞳が見え、微かな毛先まで見分け、暗いところまで明るく照らす。だから和氏の璧、隋侯の珠は、山や淵の精から出た。君子がそれを身につければ、めでたく安らかであり、諸侯や王がそれを宝とすれば、天下のために正しくある。陳成子恒が子淵捷を脅したこと、子罕が欲しくないものを辞退して欲しいものを得たこと、孔子が蝉を膠で取る者を見たこと、白公勝が杖を逆さに突いたこと、衛姫が桓公に罪を請うたこと、孔子が子夏に会って「なぜ肥えたのか」と言ったこと、魏の文侯が裘を裏返しに着て草を背負う者を見たこと、児説が宋王のために結び目を解いたこと。これはみな、微かなところから見て論じられるものである。
解説
この章句が説くこと
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『弁名』義人多く礼の先王の礼為るを知りて、義も亦た先王の義為るを知らず。故に其の解皆通ぜず。蓋し義は道の分なり。千差万別、各〻宜しき所有り。故に曰く、「義は宜なり」と。先王既に其の千差万別なる者を以て、制して以て礼と為す。学者猶ほ其の之を制する所以の意を伝ふ。是れ所謂礼の義なり。而して其の空言を以て伝ふる者、是れ所謂義なり。故に礼義は皆古より之を伝ふ。豈に先王の義に非ずや。
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『武士訓』卷三・第6段たとえば。人ありて。命を千貫萬貫にかへんかといふとも。かゆるものあるべからず。さほど大切なる命なれども。義によつて拋こと。塵よりも輕し。しかるときは。義ほどにおもきもの。世にあるべからず。源致雄歌に「いのちをばかろきになしてものゝふの道よりおもき道やらめやは(風雅集に見えたり。)
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『講孟余話』盡心上 第三十四章是れ上章「其の有に非ずして之を取るは義に非ず」と云ふに因りて、陳仲子の義、大義とするに足らず、只是れ簞食豆羹を舎つるの義なるを云ふ。陳仲子の事は、滕文公下篇末章に詳らかなり。仲子兄を避け母を離れ、吾が禄を食はず、これ親戚・君臣・上下を亡みするなり。已に人の大倫を外したる人なれば、他の小義は復た云ふに足る者なし。今斉国大なる如しと云へども、畢竟簞食豆羹と異なることなし。孟子論ずる所は物の大小に非ず、乃ち義の大小なり。是れを以て知るべし、聖人は人倫の至りにて、聖人の道は又人倫を以て大綱とす。受与の際に至りては、特に其の細目のみ。夷・斉の餓死する如くにして君臣の義あり、匡章の養はれざる如くにして、却つて父子の親ありと知るべし。
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『大和俗訓』巻之七・躬行下一君子の道は、すべき事を行ひ、すまじき事をせず。これ義なり。好むべき事を好み、好むまじき事を好まず。是善なり。君子の道はかくの如きのみ。是孟子の語意なり。一人の知は目のごとし。人の目はよく百里の外を見れども、わが睫を見がたし。人の智よく他人の悪を知れども、わが身の悪を知らず。人をみることは常に明なり。私なければなり。自ら見ることは常にくらし。私あればなり。ここを以て、人の過をせむる事はきびしく、わが悪をゆるす事はゆるやかなり。
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『五常訓』巻之四・義一中庸曰く、義は宜なり、賢を尊ぶを大なりと為す。朱子章句に云く、宜とは事理を分別して、各宜しき所有るなり。周子も、宜を義と曰ふ。釈名曰く、義は宜なり、事物を裁制して、宜しきに合はしむるなり。諸説皆宜しきを以て義とす。宜しきとは、万事万物の品にしたがひ、其理をわきまへて、相応するを云ふ。朱子は、義は心の制、事の宜といへり。制とは、たちわかつ意。裁判するなり。心の制とは、心中に善悪をわかつ所の理あるを云ふ。義の心にあるは、利刀の如し。物来れば、刀を以てたてば二となる。善悪を決断する事、かくの如し。是心の制なり。義の体とす。事之宜とは、諸事に相応して、其理の宜しきにしたがふを云ふ。是義の用とす。事之宜は、心の制ありて、善悪をたちわかちて後の事なり。人を愛するは仁なり。
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