淮南子 / 兵略訓
將者必有三隧、四義、五行、十守。所謂三隧者,上知天道,下習地形,中察人情。所謂四義者,便國不負兵,為主不顧身,見難不畏死,決疑不辟罪。所謂五行者,柔而不可卷也,剛而不可折也,仁而不可犯也,信而不可欺也,勇而不可淩也。所謂十守者,神清而不可濁也,謀遠而不可慕也,操固而不可遷也,知明而不可蔽也,不貪於貨,不淫於物,不嚂於辯,不推于方,不可喜也,不可怒也。是謂至於,窈窈冥冥,孰知其情!發必中銓,言必合數,動必順時,解必中揍。通動靜之機,明開塞之節,審舉措之利害,若合符節。疾如彍弩,勢如發矢。一龍一蛇,動無常體,莫見其所中,莫知其所窮。攻則不可守,守則不可攻。
新字:将者必有三隧、四義、五行、十守。所謂三隧者,上知天道,下習地形,中察人情。所謂四義者,便国不負兵,為主不顧身,見難不畏死,決疑不辟罪。所謂五行者,柔而不可巻也,剛而不可折也,仁而不可犯也,信而不可欺也,勇而不可淩也。所謂十守者,神清而不可濁也,謀遠而不可慕也,操固而不可遷也,知明而不可蔽也,不貪於貨,不淫於物,不嚂於弁,不推于方,不可喜也,不可怒也。是謂至於,窈窈冥冥,孰知其情!発必中銓,言必合数,動必順時,解必中揍。通動静之機,明開塞之節,審舉措之利害,若合符節。疾如彍弩,勢如発矢。一竜一蛇,動無常体,莫見其所中,莫知其所窮。攻則不可守,守則不可攻。
書き下し
將たる者は必ず三隧・四義・五行・十守有り。所謂 三隧なる者は、上は天道を知り、下は地形に習い、中は人情を察するなり。所謂 四義なる者は、國に便にして兵を負わず、主の爲に身を顧みず、難を見て死を畏れず、疑を決して罪を辟けざるなり。所謂 五行なる者は、柔にして卷く可からず、剛にして折る可からず、仁にして犯す可からず、信にして欺く可からず、勇にして淩ぐ可からざるなり。所謂 十守なる者は、神 清くして濁す可からず、謀 遠くして慕う可からず、操 固くして遷す可からず、知 明らかにして蔽う可からず、貨を貪らず、物に淫せず、辯に嚂わず、方に推されず、喜ばしむ可からず、怒らしむ可からざるなり。是を至と謂う。窈窈冥冥として、孰か其の情を知らん。發すれば必ず銓に中たり、言えば必ず數に合し、動けば必ず時に順い、解けば必ず揍に中たる。動靜の機に通じ、開塞の節に明らかに、舉措の利害を審らかにすること、符節を合わするが若し。疾きこと彍弩の如く、勢 發矢の如し。一たび龍となり一たび蛇となり、動きて常體無く、其の中つる所を見る莫く、其の窮まる所を知る莫し。攻むれば則ち守る可からず、守れば則ち攻む可からず。
現代語訳
将には必ず三隧・四義・五行・十守がある。三隧とは、上は天の道を知り、下は地形に習熟し、中は人の情を察することである。四義とは、国に都合よく事を運んで兵に負担をかけず、主のために身を顧みず、難を見て死を畏れず、疑いを決して罪を避けないことである。五行とは、柔らかいが巻き取られず、剛いが折れず、仁があるが侵されず、信があるが欺かれず、勇があるが凌がれないことである。十守とは、心が清くて濁されず、謀が遠くて誘われず、節操が固くて動かされず、知が明るくて覆われず、財を貪らず、物に溺れず、弁舌に惑わされず、一方向へ押されず、喜ばせられず、怒らせられないことである。これを至という。奥深く暗くて、誰がその実情を知ろう。発すれば必ずはかりに当たり、言えば必ず数に合い、動けば必ず時に従い、解けば必ず節目に合う。動と静の機微に通じ、開くことと塞ぐことの節目に明るく、取捨の利害を審らかにすることが、割符を合わせるようである。速いことは張った弩のようで、勢いは放たれた矢のようである。あるときは龍となりあるときは蛇となり、動いて定まった体がなく、どこに当たったかも見えず、どこで尽きるかも分からない。攻めれば守れず、守れば攻められない。
解説
この章句が説くこと
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