淮南子 / 兵略訓
二世皇帝,勢為天子,富有天下。人跡所至,舟楫所通,莫不為郡縣,然縱耳目之欲,窮侈靡之變,不顧百姓之饑寒窮匱也。興萬乘之駕,而作阿房之宮,發閭左之戍,收太半之賦,百姓之隨逮肆刑,挽輅首路死者,一旦不知千萬之數。天下敖然若焦熱,傾然若苦烈,上下不相寧,吏民不相憀。戍卒陳勝,興於大澤,攘臂袒右,稱為大楚,而天下回應。當此之時,非有牢甲利兵,勁弩強沖也,伐棘棗而為矜,周錐鑿而為刃,剡摲筡,奮儋钁,以當修戟強弩,攻城掠地,莫不降下,天下為之麋沸螘動,雲徹席捲,方數千里。勢位至賤,而器械甚不利,然一人唱而天下應之者,積怨在於民也。武王伐紂,東面而迎歲,至汜而水,至共頭而墜,彗星出而授殷人其柄。當戰之時,十日亂於上,風雨擊於中,然而前無蹈難之賞,而後無遁北之刑,白刃不畢拔而天下得矣。
新字:二世皇帝,勢為天子,富有天下。人跡所至,舟楫所通,莫不為郡県,然縦耳目之欲,窮侈靡之変,不顧百姓之饑寒窮匱也。興万乗之駕,而作阿房之宮,発閭左之戍,収太半之賦,百姓之随逮肆刑,挽輅首路死者,一旦不知千万之数。天下敖然若焦熱,傾然若苦烈,上下不相寧,吏民不相憀。戍卒陳勝,興於大沢,攘臂袒右,称為大楚,而天下回応。当此之時,非有牢甲利兵,勁弩強沖也,伐棘棗而為矜,周錐鑿而為刃,剡摲筡,奮儋钁,以当修戟強弩,攻城掠地,莫不降下,天下為之麋沸螘動,雲徹席捲,方数千里。勢位至賤,而器械甚不利,然一人唱而天下応之者,積怨在於民也。武王伐紂,東面而迎歳,至汜而水,至共頭而墜,彗星出而授殷人其柄。当戦之時,十日乱於上,風雨撃於中,然而前無蹈難之賞,而後無遁北之刑,白刃不畢抜而天下得矣。
書き下し
二世皇帝は、勢は天子と爲り、富は天下を有つ。人跡の至る所、舟楫の通ずる所、郡縣と爲らざる莫し。然れども耳目の欲を縱にし、侈靡の變を窮めて、百姓の饑寒窮匱を顧みざるなり。萬乘の駕を興して、阿房の宮を作り、閭左の戍を發し、太半の賦を收む。百姓の隨逮肆刑せられ、輅を挽きて路に首して死する者、一旦に千萬の數を知らず。天下 敖然として焦熱の若く、傾然として苦烈の若し。上下 相い寧んぜず、吏民 相い憀まず。戍卒 陳勝、大澤に興り、臂を攘げ右を袒ぎ、稱して大楚と爲す。而して天下 回應す。此の時に當たりて、牢甲利兵、勁弩強沖有るに非ざるなり。棘棗を伐りて矜と爲し、錐鑿を周めて刃と爲し、摲筡を剡ぎ、儋钁を奮いて、以て修戟強弩に當たる。城を攻め地を掠め、降下せざる莫し。天下 之が爲に麋沸螘動し、雲徹席捲すること、方 數千里なり。勢位 至って賤しく、器械 甚だ利ならず。然れども一人 唱えて天下 之に應ずる者は、怨を積むこと民に在ればなり。武王 紂を伐つに、東面して歲を迎え、汜に至りて水あり、共頭に至りて墜つ。彗星 出でて殷人に其の柄を授く。戰う時に當たりて、十日 上に亂れ、風雨 中を擊つ。然れども前に難を蹈むの賞無く、後に遁北の刑無くして、白刃 畢く拔かずして天下を得たり。
現代語訳
二世皇帝は、勢いは天子であり、富は天下を持っていた。人の足跡の届くところ、舟の通うところ、郡県とならないものはなかった。それでいて耳目の欲をほしいままにし、贅沢の限りを尽くして、民の飢えと寒さと窮乏を顧みなかった。万乗の車駕を仕立て、阿房宮を作り、辺境の守りに人を送り、収穫の大半を税に取った。民は次々に捕らえられ刑に処され、車を挽いて路上で頭を垂れて死ぬ者が、一日で千万を数えるほどになった。天下は焼けつくようで、傾いて煮え立つようだった。上下は互いに安んじられず、役人と民は互いを頼らなくなった。守備兵の陳勝が大沢で立ち上がり、腕をまくり右肩を脱いで、大楚と称した。すると天下が応じた。このとき、堅い鎧も鋭い武器も、強い弩も破城車もなかった。棘や棗を伐って柄とし、錐や鑿を丸めて刃とし、竹を削り、鋤を振るって、長い戟や強い弩に立ち向かった。城を攻め地を奪い、降らないものはなかった。天下はそのために煮え立ち蟻のように動き、雲が晴れ席を巻くように、数千里に及んだ。地位は至って賤しく、道具もまるで役に立たない。それでも一人が唱えて天下が応じたのは、怨みが民に積もっていたからである。武王が紂を討ったときは、東を向いて年を迎え、汜に至って水が出、共頭に至って崩れた。彗星が出て殷の側に柄を授けた。戦うときには、十の日が上で乱れ、風雨が中を打った。それでも前に難に飛び込む賞もなく、後ろに逃げた者への刑もないまま、白刃を抜き切らずに天下を得た。
解説
この章句が説くこと
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『長短経』懼戒王怒る。被、死罪を謝す。王曰く「陳勝・呉広は立錐の地無く、千人の衆もて、大沢に起こり、臂を奮いて大呼して天下響応し、西して戯に至りて兵百万なり。今、吾が国小なりと雖も、然れども勝兵の者、十余万を得べし。直だ適戍の衆、鐖鑿棘矜のみに非ざるなり。公何を以て禍有りて福無しと言う」と。被曰く「秦は無道にして、天下を残賊す。万乗の駕を興し、阿房の宮を作り、太半の賦を収め、閭左の戍を発す。父は子を寧んぜず、兄は弟を便とせず。政苛しく刑峻しく、天下は熬然として燋かるるが若し。民は皆領を引きて望み、耳を傾けて聴き、悲号して天を仰ぎ、心を扣きて上を怨む。故に陳勝一たび呼びて、天下響応す。当今、陛下は天下に臨制し、海内を一斉にし、汎く蒸庶を愛し、徳を布き恵を施す。口未だ言わずと雖も、声は雷霆より疾く、令未だ出でずと雖も、化の馳すること神の如し。心に懐く所有れば、威は万里を動かし、下の上に応ずること、猶お影響のごとし。而して大将軍の材能は、特に章邯・楊熊のみに非ざるなり。大王、陳勝・呉広を以て之に喩う。被以為えらく過てり」と。
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