淮南子 / 兵略訓
昔者楚人地,南卷沅、湘,北繞潁、泗,西包巴、蜀,東裹郯、淮,潁、汝以為洫,江、漢以為池,垣之以鄧林,綿之以方城,山高尋雲,溪肆無景,地利形便,卒民勇敢。蛟革犀兕,以為甲胄,修鎩短鏦,齊為前行,積弩陪後,錯車衛旁,疾如錐矢,合如雷電,解如風雨。然而兵殆于垂沙,眾破於栢舉。楚國之強,大地計眾,中分天下,然懷王北畏孟嘗君,背社稷之守,而委身強秦,兵挫地削,身死不還。
新字:昔者楚人地,南巻沅、湘,北繞潁、泗,西包巴、蜀,東裹郯、淮,潁、汝以為洫,江、漢以為池,垣之以鄧林,綿之以方城,山高尋雲,渓肆無景,地利形便,卒民勇敢。蛟革犀兕,以為甲胄,修鎩短鏦,斉為前行,積弩陪後,錯車衛旁,疾如錐矢,合如雷電,解如風雨。然而兵殆于垂沙,眾破於栢舉。楚国之強,大地計眾,中分天下,然懐王北畏孟嘗君,背社稷之守,而委身強秦,兵挫地削,身死不還。
書き下し
昔者 楚人の地は、南は沅・湘を卷き、北は潁・泗を繞り、西は巴・蜀を包み、東は郯・淮を裹む。潁・汝以て洫と爲し、江・漢以て池と爲し、之を垣するに鄧林を以てし、之を綿ぐに方城を以てす。山 高くして雲を尋ね、溪 肆にして景無し。地利 形便にして、卒民 勇敢なり。蛟革犀兕を以て甲胄と爲し、修鎩短鏦、齊しく前行と爲し、積弩 後に陪い、錯車 旁を衛る。疾きこと錐矢の如く、合すること雷電の如く、解くること風雨の如し。然れども兵 垂沙に殆うく、眾 栢舉に破る。楚國の強、地を大にし眾を計り、天下を中分す。然れども懷王 北のかた孟嘗君を畏れ、社稷の守を背きて、身を強秦に委ぬ。兵 挫け地 削られ、身 死して還らず。
現代語訳
昔の楚の地は、南は沅水と湘水を巻き込み、北は潁水と泗水を巡り、西は巴と蜀を包み、東は郯と淮を包んでいた。潁水と汝水を堀とし、長江と漢水を池とし、鄧林を垣とし、方城を連ねた。山は高く雲に届き、谷は広くて日陰がない。地の利があり形も便利で、兵も民も勇敢だった。蛟や犀の革で鎧兜を作り、長い矛と短い槍をそろえて前列とし、弩を重ねて後ろに従え、車を並べて側面を守った。速いことは錐や矢のようで、合わさることは雷電のようで、解けることは風雨のようだった。それでも兵は垂沙で危うくなり、軍は柏挙で破れた。楚の強さは、土地の大きさと人の数で、天下を二分するほどだった。それでも懐王は北のかた孟嘗君を畏れ、社稷を守る務めに背いて、身を強国の秦に委ねた。兵は挫かれ地は削られ、身は死んで帰らなかった。
解説
この章句が説くこと
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