淮南子 / 兵略訓
夫圓者,天也;方者,地也。天圓而無端,故不可得而觀;地方而無垠,故莫能窺其門。天化育而無形象,地生長而無計量,渾渾沉沉,孰知其藏。凡物有朕,唯道無朕。所以無朕者,以其無常形勢也。輪轉而無窮,象日月之運行,若春秋有代謝,若日月有晝夜,終而複始,明而複晦,莫能得其紀。制刑而無刑,故功可成;物物而不物,故勝而不屈。刑,兵之極也,至於無刑,可謂極之矣。是故大兵無創,與鬼神通,五兵不厲,天下莫之敢當。建鼓不出庫,諸侯莫不慴㥄沮膽其處。故廟戰者帝,神化者王。所謂廟戰者,法天道也;神化者,法四時也。修政于境內,而遠方慕其德;制勝于未戰,而諸侯服其威。內政治也。
新字:夫円者,天也;方者,地也。天円而無端,故不可得而観;地方而無垠,故莫能窺其門。天化育而無形象,地生長而無計量,渾渾沈沈,孰知其蔵。凡物有朕,唯道無朕。所以無朕者,以其無常形勢也。輪転而無窮,象日月之運行,若春秋有代謝,若日月有昼夜,終而複始,明而複晦,莫能得其紀。制刑而無刑,故功可成;物物而不物,故勝而不屈。刑,兵之極也,至於無刑,可謂極之矣。是故大兵無創,与鬼神通,五兵不厲,天下莫之敢当。建鼓不出庫,諸侯莫不慴㥄沮胆其処。故廟戦者帝,神化者王。所謂廟戦者,法天道也;神化者,法四時也。修政于境内,而遠方慕其徳;制勝于未戦,而諸侯服其威。内政治也。
書き下し
夫れ圓なる者は、天なり。方なる者は、地なり。天は圓にして端無し、故に得て觀る可からず。地は方にして垠無し、故に能く其の門を窺う莫し。天は化育して形象無く、地は生長して計量無し。渾渾沉沉として、孰か其の藏を知らん。凡そ物に朕有り、唯だ道のみ朕無し。朕無き所以の者は、其の常形勢無きを以てなり。輪轉して窮まり無く、日月の運行に象り、春秋に代謝有るが若く、日月に晝夜有るが若く、終わりて復た始まり、明らかにして復た晦し。能く其の紀を得る莫し。刑を制して刑無し、故に功 成る可し。物を物として物とせず、故に勝ちて屈せず。刑は、兵の極なり。刑無きに至るは、極と謂う可し。是の故に大兵は創無く、鬼神と通ず。五兵 厲がずして、天下 之に敢えて當たる莫し。建鼓 庫を出でずして、諸侯 慴㥄して其の處に膽を沮まざる莫し。故に廟戰する者は帝たり、神化する者は王たり。所謂 廟戰なる者は、天道に法るなり。神化なる者は、四時に法るなり。政を境內に修めて、遠方 其の德を慕う。勝を未だ戰わざるに制して、諸侯 其の威に服す。內政 治まればなり。
現代語訳
円いのは天であり、四角いのは地である。天は円くて端がない、だから見て取れない。地は四角くて際限がない、だからその門をのぞける者がいない。天は育てながらかたちがなく、地は生やしながら量りようがない。混沌として深く、誰がその蔵を知ろう。すべての物には兆しがあるが、道だけには兆しがない。兆しがないのは、定まったかたちや勢いがないからである。輪のように転じて窮まらず、日月の運行にかたどり、春と秋が入れ替わるようであり、日と月に昼夜があるようであり、終わってまた始まり、明るくなってまた暗くなる。その筋目をつかめる者はいない。刑を定めていながら刑を用いない、だから功が成る。物を物として扱いながら物にしない、だから勝って屈しない。刑は兵の極みである。刑がないところに至れば、極みといえる。だから大いなる兵は傷を作らず、鬼神と通じる。五つの武器を研がなくても、天下に敢えて立ち向かう者がない。太鼓が蔵から出ないのに、諸侯は震え上がってその場で胆を挫かれない者がない。だから廟で戦う者は帝となり、おのずと化する者は王となる。廟で戦うとは、天の道に則ることである。おのずと化するとは、四季に則ることである。政を領内で整えれば、遠方の者がその徳を慕う。勝ちをまだ戦わないうちに制すれば、諸侯はその威に服する。内政が治まっているからである。
解説
この章句が説くこと
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『童子問』卷上問ふ、易知易行・万世不易の理の、実に至極為ることは、既に命を聞くことを得たり。然れども心中猶ほ未だ釈然たること能はず。願はくは易く暁りやすきの語を以て、申ねて諭を垂れよと。曰く、人の外に道無く、道の外に人無し。人を以て人の道を行ふ、何の難知難行か之れ有らん。夫れ人の霊を以てすと雖も、然れども羽ある者の翔り、鱗ある者の潜るが若くなること能はざる者は、其の性異なればなり。堯の服を服し、堯の行ひを行ひ、堯の言を誦するに於ては、則ち復た甚だ難き者無し。其の道同じければなり。故に孟子曰く、夫れ道は一のみと。若し夫れ人倫を外にして道を求むる者は、猶ほ風を捕へ影を捉ふるがごとく、必ず得べからざるなり。故に道を知る者は、必ず之を邇きに求む。其の道を以て高しと為し、遠しと為し、企て及ぶべからずと為す者は、皆道の本然に非ず、自ら惑ふの致す所なり。
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『弁名』理氣人欲包犠氏網罟を為る、蓋し諸を離に取る、神農氏耒耜を為る、蓋し諸を益に取るが如し。易は本と象を取りて器を作るの義有り。故に爾か云ふ。形而上は、器未だ形を成さざる以前、唯だ易の道有るのみを謂ふ。其の形を成すの後に至りて、始めて其の器有り。皆器を制するを主として之を言ふ。下文遂に曰く、「化して之を裁する、之を変と謂ふ。推して之を行ふ、之を通と謂ふ。挙げて之を天下の民に措く、之を事業と謂ふ」と。是れ皆易を賛するの言なり。道器変通事業は、皆易を以て之を言ふのみ。上章に「戸を闔づる之を坤と謂ひ、戸を闢く之を乾と謂ふ。一たび闔ぢ一たび闢く之を変と謂ひ、往来窮まらざる之を通と謂ふ。見はるる乃ち之を象と謂ひ、形はるる乃ち之を器と謂ふ。制して之を用ふる之を法と謂ひ、利用出入して民咸之を用ふる之を神と謂ふ」と曰ふが如きも、是れ又た道器を以て対言せず。其の義以て見るべきのみ。豈に大謬に非ずや。
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『慎思録』巻之四術者の陋なり。陰陽を指して道と為すは、猶ほ天地を指して道と為し、聖人を指して道と為すがごとし。此れ道の在る所を以て言ふ。其の実、天地陰陽は即ち是れ道の存する所にして、還た是れ道中に在る所の物なり。蓋し道を以て主と為して之を言へば、則ち天地万物は皆是れ道中の物なり。天地万物を以て主と為して之を言へば、則ち道は天地万物の中に在りて、之が主為る者なり。陰陽の如きは、則ち又天地万物の比に非ず。同異離合を以て之を言ふべからず。故に易に陰陽を以て道を言ふは、此を以てなり。
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『弁名』理氣人欲仁斎先生曰く、「道は行ふ所を以て言ふ、活字なり。理は存する所を以て言ふ、死字なり。聖人は道を見ること実なり、故に其の理を説くや活なり。老氏は道を見ること虚なり、故に其の理を説くや死なり」と。又た曰く、「道は本と活字、其の生生化化の妙を形容する所以なり。理の字の若きは本と死字、玉に従ひ里に従ふ、玉石の文理を謂ふ。以て事物の条理を形容すべくして、以て天地生生化化の妙を形容するに足らず」と。此等の議論、皆痴人の夢を説くが如し。
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『弁名』道小人の道長ずと曰ひ、戎狄の道と曰ふ者有り。皆其の由る所を以て俗を成し、自ら一道有るに似たり。故に之を言ふ。善人の道と曰ひ、父の道を改むること無しと曰ふ者有り。亦た其の由る所を言ふのみ。必ずしも先王の道ならず。凡そ其の意此を以て道と為して之に由る者なり。是の道や何ぞ以て臧しとするに足らんと曰ふ者有り。詩書礼楽は、皆先王の道なり。故に一言半句と雖も亦た称して道と為すのみ。
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『慎思録』巻之三聖人の道は、本自ら分明なり。故に夫婦の愚も、以て与り知るべし。本自ら簡易なり。故に夫婦の不肖も、以て能く行ふべし。然れども世に之を知り之を行ふ者鮮きは、何ぞや。蓋し教無く習無きに因るなり。

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