淮南子 / 詮言訓
君子為善,不能使福必來;不為非,而不能使禍無至。福之至也,非其所求,故不伐其功;禍之來也,非其所生,故不悔其行。內修極而橫禍至者,皆天也,非人也。故中心常恬漠,累積其德,狗吠而不驚,自信其情。故知道者不惑,知命者不憂。萬乘之主卒,葬其骸於廣野之中,祀其鬼神於明堂之上,神貴於形也。故神制則形從,形勝則神窮。聰明雖用,必反諸神,謂之太沖。
新字:君子為善,不能使福必来;不為非,而不能使禍無至。福之至也,非其所求,故不伐其功;禍之来也,非其所生,故不悔其行。内修極而横禍至者,皆天也,非人也。故中心常恬漠,累積其徳,狗吠而不驚,自信其情。故知道者不惑,知命者不憂。万乗之主卒,葬其骸於広野之中,祀其鬼神於明堂之上,神貴於形也。故神制則形従,形勝則神窮。聰明雖用,必反諸神,謂之太沖。
書き下し
君子 善を爲すも、福をして必ず來たらしむる能わず。非を爲さざるも、而も禍をして至る無からしむる能わず。福の至るや、其の求むる所に非ず。故に其の功を伐らず。禍の來たるや、其の生ずる所に非ず。故に其の行いを悔いず。內に修むること極まりて橫禍 至る者は、皆な天なり、人に非ざるなり。故に中心 常に恬漠として、其の德を累積す。狗 吠えて驚かず、自ら其の情を信ずればなり。故に道を知る者は惑わず、命を知る者は憂えず。萬乘の主 卒するや、其の骸を廣野の中に葬り、其の鬼神を明堂の上に祀る。神の形より貴ければなり。故に神 制すれば則ち形 從い、形 勝てば則ち神 窮す。聰明 用うと雖も、必ず諸を神に反す。之を太沖と謂う。
現代語訳
君子は善を行っても、福が必ず来るようにはできない。非を行わなくても、禍が来ないようにはできない。福が来るのは、自分が求めたからではない。だからその功を誇らない。禍が来るのは、自分が生んだものではない。だからその行いを悔いない。内を修めることを極めていながら思いがけない禍が来るのは、みな天であって人ではない。だから心の中は常に穏やかで、その徳を積み重ねる。犬が吠えても驚かないのは、自分の実情を信じているからである。だから道を知る者は惑わず、命を知る者は憂えない。万乗の君主が亡くなると、その骸は広い野に葬られ、その霊は明堂の上に祀られる。神のほうが形より貴いからである。だから神が制すれば形は従い、形が勝てば神は行き詰まる。聡明さを使っても、必ずそれを神に返す。これを太沖という。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・堯曰篇堯曰く、「咨、爾舜、天の暦数爾の躬に在り。允に其の中を執れ。四海困窮せば、天禄永く終わらん。」舜も亦た以て禹に命ず。曰く、「予小子履、敢えて玄牡を用い、敢えて昭らかに皇皇たる后帝に告ぐ。罪有るは敢えて赦さず。帝の臣は蔽わず、簡ぶこと帝の心に在り。朕が躬罪有らば、万方を以てすること無かれ。万方罪有らば、罪は朕が躬に在り。」「周に大賚有り、善人是れ富む。」「周親有りと雖も、仁人に如かず。百姓過ち有らば、予一人に在り。」権量を謹み、法度を審らかにし、廃官を脩むれば、四方の政行われん。滅国を興し、絶世を継ぎ、逸民を挙ぐれば、天下の民心を帰せん。重んずる所は、民・食・喪・祭。寛なれば則ち衆を得、信なれば則ち民任じ、敏なれば則ち功有り、公なれば則ち説ぶ。
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孔子家語・五儀解哀公孔子に問いて曰く、「夫れ国家の存亡禍福は、信に天命有りて、唯だ人のみに非ざるか。」孔子対えて曰く、「存亡禍福は、皆己のみ。天災地妖は、加うる能わざるなり。」公曰く、「善いかな。吾子の言、豈に其の事有るか。」孔子曰く、「昔者殷王帝辛の世、雀の大鳥を城隅に生む有り。之を占いて曰く、『凡そ小を以て大を生ずれば、則ち国家必ず王として名必ず昌んならん』と。是に於て帝辛雀の徳を介として、国政を修めず、亢暴極まり無く、朝臣救うこと莫く、外寇乃ち至りて、殷国以て亡ぶ。此れ即ち己を以て天時に逆らい、福を詭りて反りて禍と為す者なり。又其の先世殷王太戊の時、道缺け法圮れ、以て夭櫱・桑穀朝に致し、七日にして大いに拱す。之を占う者曰く、『桑穀は野木にして朝に合生せず、意者国亡びんか』と。太戊恐駭し、身を側めて行を修め、先王の政を思い、養民の道を明らかにす。三年の後、遠方義を慕いて重訳して至る者、十有六国。此れ即ち己を以て天時に逆らい、禍を得て福と為す者なり。故に天災地妖は、人主を儆む所以の者なり。寤夢征怪は、人臣を儆む所以の者なり。災妖は善政に勝たず、寤夢は善行に勝たず。能く此を知る者は、至治の極なり。唯だ明王のみ此に達す。」公曰く、「寡人鄙固此くの如きに、亦た君子の教を聞くを得ざりしなり。」
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孟子・梁惠王章句下魯の平公將に出でんとす。嬖人臧倉なる者請うて曰く、「他日、君出づれば、則ち必ず有司に之く所を命ず。今、輿に乘り已に駕す。有司未だ之く所を知らず。敢て請う。」公曰く、「將に孟子を見んとす。」曰く、「何ぞや。君の為す所、身を輕んじて以て匹夫に先だつとは。以て賢と為すか。禮義は賢者由り出づ。而るに孟子の後喪は前喪に踰えたり。君、見る無かれ。」公曰く、「諾。」樂正子、入り見えて曰く、「君、奚為れぞ孟軻を見ざるや。」曰く、「或ひと寡人に告げて曰く、『孟子の後喪は前喪を踰えたり。』是を以て往きて見ざるなり。」曰く、「何ぞや。君の所謂踰ゆとは。前には士を以てし、後には大夫を以てし、前には三鼎を以てし、後には五鼎を以てしたるか。」曰く、「否。棺槨衣衾の美を謂うなり。」曰く、「所謂踰ゆるには非ざるなり。貧富同じからざればなり。」樂正子、孟子に見えて曰く、「克、君に告ぐ。君、來たり見んと為す。嬖人に臧倉なる者有り、君を沮む。君是を以て來たることを果たさざるなり。」曰く、「行くも之を使しむる或り、止まるも之を尼むる或り。行止は人の能くする所に非ざるなり。吾の魯侯に遇わざるは、天なり。臧氏の子、焉ぞ能く予をして遇わしめざらんや。」
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尚書・康誥惟れ命は常には于いてせず。
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「堯・舜は性のままなる者なり。湯・武は之に反るなり。動容周旋、禮に中る者は、盛德の至りなり。死を哭して哀しむは、生者の為に非ざるなり。經德回ならざるは、以て禄を干むるに非ざるなり。言語必ず信なるは、以て行いを正すに非ざるなり。君子は法を行いて、以て命を俟つのみ。」
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