淮南子 / 詮言訓
無為者,道之體也;執後者,道之容也。無為制有為,術也;執後之制先,數也。放于術則強,審于數則寧。今與人卞氏之璧,未受者,先也;求而致之,雖怨不逆者,後也。三人同舍,二人相爭,爭者各自以為直,不能相聽,一人雖愚,必從旁而決之,非以智,不爭也。兩人相鬥,一羸在側,助一人則勝,救一人則免,鬥者雖強,必制一羸,非以勇也,以不鬥也。
新字:無為者,道之体也;執後者,道之容也。無為制有為,術也;執後之制先,数也。放于術則強,審于数則寧。今与人卞氏之璧,未受者,先也;求而致之,雖怨不逆者,後也。三人同舎,二人相争,争者各自以為直,不能相聴,一人雖愚,必従旁而決之,非以智,不争也。両人相鬥,一羸在側,助一人則勝,救一人則免,鬥者雖強,必制一羸,非以勇也,以不鬥也。
書き下し
無爲なる者は、道の體なり。後を執る者は、道の容なり。無爲もて有爲を制するは、術なり。後を執りて先を制するは、數なり。術に放えば則ち強く、數に審らかなれば則ち寧し。今 人に卞氏の璧を與うるに、未だ受けざる者は、先なればなり。求めて之を致さば、怨むと雖も逆らわざる者は、後なればなり。三人 舍を同じくし、二人 相い爭う。爭う者は各々自ら以て直と爲し、相い聽く能わず。一人 愚なりと雖も、必ず旁より之を決す。智を以てするに非ず、爭わざればなり。兩人 相い鬥うに、一羸 側に在り。一人を助くれば則ち勝ち、一人を救えば則ち免る。鬥う者 強しと雖も、必ず一羸に制せらる。勇を以てするに非ず、鬥わざるを以てなり。
現代語訳
何もしないことは道の体であり、後に立つことは道の姿である。何もしないことで何かをするものを制するのは術であり、後に立って先んじたものを制するのは数である。術に従えば強く、数に通じていれば安らかである。いま人に卞氏の玉を与えようとして、まだ受け取っていないのは、こちらが先にいるからである。求めてから届ければ、怨まれても逆らわれないのは、後に立っているからである。三人が同じ宿にいて、二人が争う。争っている者はそれぞれ自分が正しいと思い、互いに聞き入れられない。もう一人は愚かであっても、必ず横から裁ける。知恵によるのではなく、争っていないからである。二人が殴り合っていて、痩せた一人がそばにいる。一方を助ければ勝ち、一方を救えば助かる。争っている者がどれほど強くても、必ずその痩せた一人に左右される。勇によるのではなく、争っていないからである。
解説
この章句が説くこと
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