淮南子 / 詮言訓
聖人勝心,眾人勝欲。君子行正氣,小人行邪氣。內便於性,外合於義,循理而動,不系於物者,正氣也。重于滋味,淫於聲色,發於喜怒,不顧後患者,邪氣也。邪與正相傷,欲與性相害,不可兩立。一置一廢。故聖人損欲而從事於性。目好色,耳好聲,口好味,接而說之,不知利害,嗜欲也。食之不甯於體,聽之不合於道,視之不便於性。三官交爭,以義為制者,心也。割痤疽,非不痛也;飲毒藥,非不苦也;然而為之者,便於身也。渴而飲水,非不快也;饑而大飧,非不澹也;然而弗為者,害於性也。此四者,耳目鼻口不知所取去,必為之制,各得其所。由是觀之,欲之不可勝,明矣。
新字:聖人勝心,衆人勝欲。君子行正気,小人行邪気。内便於性,外合於義,循理而動,不系於物者,正気也。重于滋味,淫於声色,発於喜怒,不顧後患者,邪気也。邪与正相傷,欲与性相害,不可両立。一置一廃。故聖人損欲而従事於性。目好色,耳好声,口好味,接而説之,不知利害,嗜欲也。食之不甯於体,聴之不合於道,視之不便於性。三官交争,以義為制者,心也。割痤疽,非不痛也;飲毒薬,非不苦也;然而為之者,便於身也。渇而飲水,非不快也;饑而大飧,非不澹也;然而弗為者,害於性也。此四者,耳目鼻口不知所取去,必為之制,各得其所。由是観之,欲之不可勝,明矣。
書き下し
聖人は心に勝ち、眾人は欲に勝つ。君子は正氣を行い、小人は邪氣を行う。內は性に便に、外は義に合し、理に循いて動き、物に系がれざる者は、正氣なり。滋味を重んじ、聲色に淫し、喜怒に發し、後患を顧みざる者は、邪氣なり。邪と正と相い傷つけ、欲と性と相い害す。兩立す可からず。一つ置けば一つ廢る。故に聖人は欲を損じて性に從事す。目は色を好み、耳は聲を好み、口は味を好む。接して之を説び、利害を知らざるは、嗜欲なり。之を食らいて體に甯からず、之を聽きて道に合わず、之を視て性に便ならず。三官 交々爭うに、義を以て制と爲す者は、心なり。痤疽を割くは、痛からざるに非ざるなり。毒藥を飲むは、苦からざるに非ざるなり。然れども之を爲す者は、身に便なればなり。渴して水を飲むは、快からざるに非ざるなり。饑えて大いに飧うは、澹らかならざるに非ざるなり。然れども之を爲さざる者は、性を害すればなり。此の四つの者は、耳目鼻口 取り去る所を知らず。必ず之が制を爲して、各々其の所を得しむ。是に由りて之を觀れば、欲の勝つ可からざること、明らかなり。
現代語訳
聖人は自分の心に勝ち、多くの人は欲に負ける。君子は正しい気で行い、小人は邪な気で行う。内は生まれつきに適い、外は義に合い、理に従って動き、物に縛られないのが正しい気である。味を重んじ、音や色に溺れ、喜怒のままに動き、後の患いを顧みないのが邪な気である。邪と正は互いを傷つけ、欲と性は互いを害する。両立できない。一方を置けば一方が廃れる。だから聖人は欲を減らして性のほうに従事する。目は色を好み、耳は音を好み、口は味を好む。触れて喜び、利害を考えないのが欲である。食べても体に良くなく、聴いても道に合わず、見ても性に良くない。三つの器官が争うとき、義によって裁くのが心である。腫れ物を切るのは、痛くないからではない。毒になる薬を飲むのは、苦くないからではない。それでもするのは、身のためになるからである。渇いて水を飲むのは、快くないからではない。飢えてたらふく食べるのは、心地よくないからではない。それでもしないのは、性を損なうからである。この四つについて、耳や目や鼻や口は、取るべきか捨てるべきかを知らない。必ずそれを裁くものを置いて、それぞれの場所を得させる。これによって見れば、欲に勝てないことは明らかである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『大和俗訓』巻之三・心術上一心の中は灑落にして、青天白日の如く明白なるべし。心の中に物をたくはへ、おほひくらますべからず。思慮は深く精しくすべし、浅くあらくすべからず。事をなすにはふかく思案を好みて、かるがるしく早く決定すべからず。思案は静かにして急がざるをよしとす。はやく決定すれば、必あやまりあり。
-
『養生訓』巻第一・総論上一養生に志あらん人は、心に常に主あるべし。主あれば思慮して是非をわきまへ、忿をおさへ、慾をふさぎて、あやまりすくなし。心に主なければ、思慮なくして、忿と慾をこらへず、恣にしてあやまり多し。一万の事、一時心に快き事は、必ず後に殃となる。酒食をほしいままにすれば、快けれどやがて病となるの類なり。初にこらふれば必ず後のよろこびとなる。灸治をしてあつきをこらふれば、後に病なきが如し。杜牧が詩に、忍過事堪喜といへるは、欲をこらへすまして後はよろこびとなるなり。
-
『大和俗訓』巻之四・心術下一一指目をおほへば太山を見ずと、古語にいへり。人の心は、もと明なる物なりといへども、私欲のおほひありて心体をふさげば、くらくして道理に通ぜず。故に心を明かにして是非にまよはざらんことを思はば、私欲を去るべし。欲去れば心明なり。本心は日月の如し、嗜欲之を食して既くと、山谷が詩にも見えたり。
-
『大和俗訓』巻之三・心術上一人の血気めぐらざれば病とす。人の心めぐらざれば愚なり。是古語なり。心めぐるとは、事に当りて心を用ひ、思案するを云ふ。運動するなり。孟子に、心の官は則思ふといへるが如し。思案せざれば、心めぐらずして、是非をわかつことなく愚なり。事に当りて、心をめぐらし、よく思案すれば、是非をわかつ故愚ならず。人の善悪をわきまへずして愚なるは、思案せざればなり。
-
『洗心洞箚記』卷上・第百七十八條天下の目有る者は、白を以て白と為し、赤を以て赤と為し、鹿を視て馬と為さず、馬を視て鹿と為さず。耳有る者は、清を以て清と為し、濁を以て濁と為し、笛を聴きて瑟と為さず、瑟を聴きて笛と為さず。口鼻に於ても皆亦然り。此れ何ぞ嘗て聖人と異ならんや。而して天下の心有る者は、孝の為すべくして、不孝の為すべからざるを知るなり。悌の為すべくして、不悌の為すべからざるを知るなり。忠と義との為すべくして、不忠と不義との為すべからざるを知るなり。万善万悪皆亦然り。是れ又何ぞ嘗て聖人と異ならんや。故に中庸に曰く、「夫婦の愚も、以て与り知るべし。夫婦の不肖も、以て能く行ふべし」と。然れども其の気を養ひ性を尽くすの真修無き者は、則ち危懼すべきの事に臨み、喜楽すべきの物に接すれば、乃ち耳目之が為に昏乱して、心も亦其の明を喪ふ。是に於て視聴と思惟と一時に顛倒し了る。故に白を以て白と為し、赤を以て赤と為さずして、鹿を馬と為し、馬を鹿と為し、清を以て清と為し、濁を以て濁と為さずして、笛を瑟と為し、瑟を笛と為し、而して孝は敢へて為さず、不孝は敢へて為し、悌は敢へて為さず、不悌は敢へて為し、忠と義とは敢へて為さず、不忠と不義とは敢へて為すに至るなり。視聴思惟、終に聖人と相反すること霄壌の如し。
-
『洗心洞箚記』卷下・第百一條小程子曰く、一人の心は、即ち天地の心なり。一物の理は、即ち万物の理なり。一日の運は、即ち一歳の運なり、と。吾姚江致良知の教を奉ずと雖も、二程子の説を以て徴と為すなり。而して伊川先生の此の語に於て、賜はる所甚だ少なからず。人如し能く心性を了すれば、則ち理と運も亦た心のみ、別物に非ざるなり。先生分別して之を説くは、童蒙の為のみ。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る