淮南子 / 詮言訓
善遊者,不學刺舟而便用之,勁者,不學騎馬而便居之。輕天下者,身不累於物,故能處之。泰王亶父之居邠,狄人攻之,事之以皮幣珠玉而不聽,乃謝耆老而徙岐周。百姓攜幼扶老而從之,遂成國焉。推此意,四世而有天下,不亦宜乎!
新字:善遊者,不学刺舟而便用之,勁者,不学騎馬而便居之。軽天下者,身不累於物,故能処之。泰王亶父之居邠,狄人攻之,事之以皮幣珠玉而不聴,乃謝耆老而徙岐周。百姓攜幼扶老而従之,遂成国焉。推此意,四世而有天下,不亦宜乎!
書き下し
善く遊ぐ者は、舟を刺すを學ばずして便ち之を用う。勁き者は、馬に騎るを學ばずして便ち之に居る。天下を輕んずる者は、身 物に累わされず。故に能く之に處る。泰王亶父の邠に居るや、狄人 之を攻む。之に事うるに皮幣珠玉を以てするも聽かず。乃ち耆老に謝して岐周に徙る。百姓 幼を攜え老を扶けて之に從い、遂に國を成せり。此の意を推せば、四世にして天下を有つも、亦た宜ならずや。
現代語訳
泳ぎの上手い者は、舟を操ることを習わなくてもすぐに使える。力の強い者は、馬に乗ることを習わなくてもすぐに乗りこなす。天下を軽く見る者は、身が物に煩わされない。だからそこに身を置いていられる。泰王亶父が邠にいたとき、狄の人が攻めてきた。皮や絹や珠玉を差し出しても聞き入れない。そこで長老たちに詫びて岐周へ移った。民は幼子を連れ老人を助けて従い、ついに国ができた。この筋で考えれば、四代のちに天下を得たのも、当然ではないか。
解説
泳げる者は舟を、力のある者は馬を、習わずに扱える。土台があれば個別の技はすぐ身につく、という話です。そこから土地を捨てた亶父に繋がります。「天下を輕んずる者は、身 物に累わされず」。所有に縛られていないから動けた。そして人がついて来て、移った先に国ができる。手放せる者だけが持っていられる、という逆説です。
この章句が説くこと
善く遊ぐ者は舟を刺すを学ばずして便ち之を用う勁き者は馬に騎るを学ばずして便ち之に居る天下を軽んずる者は身物に累わされず故に能く之に処る泰王亶父乃ち耆老に謝して岐周に徙る百姓幼を攜え老を扶けて之に従い遂に国を成せり土台
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