淮南子 / 氾論訓
夫發于鼎俎之間,出于屠酤之肆,解于累紲之中,興于牛頜之下,洗之以湯沐,祓之以爟火,立之于本朝之上,倚之于三公之位,內不慚於國家,外不愧於諸侯,符勢有以內合。故未有功而知其賢者,堯之知舜;功成事立而知其賢者,市人之知舜也。為是釋度數而求之於朝肆草莽之中,其失人也必多矣。何則?能效其求,而不知其所以取人也。
新字:夫発于鼎俎之間,出于屠酤之肆,解于累紲之中,興于牛頜之下,洗之以湯沐,祓之以爟火,立之于本朝之上,倚之于三公之位,内不慚於国家,外不愧於諸侯,符勢有以内合。故未有功而知其賢者,堯之知舜;功成事立而知其賢者,市人之知舜也。為是釈度数而求之於朝肆草莽之中,其失人也必多矣。何則?能効其求,而不知其所以取人也。
書き下し
夫れ鼎俎の間に發し、屠酤の肆に出で、累紲の中に解け、牛頜の下に興る。之を洗うに湯沐を以てし、之を祓うに爟火を以てし、之を本朝の上に立て、之を三公の位に倚らしむ。內は國家に慚じず、外は諸侯に愧じず。符勢 以て內に合する有り。故に未だ功有らずして其の賢を知る者は、堯の舜を知るなり。功 成り事 立ちて其の賢を知る者は、市人の舜を知るなり。是が爲に度數を釋てて之を朝肆草莽の中に求むれば、其の人を失うこと必ず多からん。何となれば則ち、能く其の求を效して、其の人を取る所以を知らざればなり。
現代語訳
鼎と俎のあいだから起こり、屠殺場や酒場から出て、縄目の中から解かれ、牛のあごの下から現れる。それを湯で洗い、清めの火で祓い、朝廷の上に立たせ、三公の位に就かせる。内は国家に恥じず、外は諸侯に恥じない。割符のようにぴったり内で合っている。だから、まだ功がないうちにその賢さを知るのが、堯が舜を知ったやり方である。功が成り事が立ってからその賢さを知るのは、市場の人が舜を知るやり方である。だからといって、物差しや数え方を捨てて、朝廷や市場や草むらの中に人を探せば、取り逃がすことが必ず多くなる。なぜか。求め方を真似ることはできても、人を取る手立てのほうを知らないからである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『塩鉄論』崇禮篇大夫曰く、晏子は齊の三君に相たり、崔・慶は無道にして、其の君を劫かし、其の國を亂す。靈公は國圍まれ、莊公は弒せられて死し、景公の時、晉人來たり攻め、垂都を取り、臨菑を舉げ、邊邑は削られ、城郭は焚かれ、宮室は隳たれ、寶器は盡く。何の沖をか能く折く所ぞ。此に由りて之を觀れば、賢良の言う所、賢人を寶と為すとは、則ち損益に輕重無きなり。
-
論語・子張篇叔孫武叔、仲尼を毀る。子貢曰く、「以て為すこと無かれ。仲尼は毀る可からざるなり。他人の賢者は、丘陵なり、猶お踰ゆ可きなり。仲尼は、日月なり、得て踰ゆること無し。人自ら絶たんと欲すと雖も、其れ何ぞ日月を傷らんや。多だ其の量を知らざるを見るなり。」
-
『塩鉄論』刺復篇大夫繆然として言わず、蓋し賢良長く嘆息す。御史進みて曰く、太公は文・武を相けて以て天下に王たり、管仲は桓公を相けて以て諸侯に霸たり。故に賢者位を得るは、猶お龍の水を得、騰蛇の霧に遊ぶがごときなり。公孫丞相は春秋を以て先帝に說き、遽かに三公に即き、周・邵の列に處り、萬里の勢に據り、天下の準繩と為り、衣は彩を重ねず、食は味を兼ねず、以て天下に先んず、而も治に益無し。博士の褚泰・徐偃等は、明詔を承け、節を建て傳を馳せ、郡國を巡省し、孝・廉を舉げ、元元を勸む、而も流俗改まらず。賢良・方正・文學の士を招き舉げ、官爵を超遷し、或いは卿大夫に至る、燕昭の士を薦むる、文王の賢を廣むるに非ずや。然り而して未だ功業の成る所を睹ず。殆ど龍蛇の才に非ずして、鹿鳴の賢を樂しむ所ならんか。
-
『塩鉄論』非鞅篇大夫曰く、淑好の人は、戚施の妒む所なり、賢知の士は、闒茸の惡む所なり。是を以て上官大夫は屈原を頃襄に短じ、公伯寮は子路を季孫に愬う。夫れ商君は布衣より起こり、魏より秦に入り、期年にして之に相たり、法を革め教を明らかにして、秦人大いに治まる。故に兵動けば地割け、兵休すれば國富む。孝公大いに說び、之を於・商の地方五百里に封ず、功は丘山の如く、名は後世に傳わる。世人は為す能わず、是を以て相い與に其の能を嫉みて其の功を疵とするなり。
-
史記 傅靳蒯成列伝陽陵侯傅寛は、魏の五大夫の騎将を以て従ひ、舎人と為り、横陽に起つ。従ひて安陽・杠里を攻め、趙賁の軍を開封に撃ち、及び楊熊を曲遇・陽武に撃ち、首を斬ること十二級、爵卿を賜はる。従ひて霸上に至る。沛公立ちて漢王と為るや、漢王寛に封号共徳君を賜ふ。従ひて漢中に入り、遷りて右騎将と為る。従ひて三秦を定め、食邑雕陰を賜はる。従ひて項籍を撃ち、懐に待ち、爵通徳侯を賜はる。従ひて項冠・周蘭・龍且を撃ち、将ゐる所の卒騎将一人を敖下に斬り、食邑を益す。淮陰に属し、斉の歴下の軍を撃破し、田解を撃つ。相国参に属し、博を残し、食邑を益す。因りて斉の地を定め、符を剖きて世世絶ゆること勿からしめ、封ぜられて陽陵侯と為る、二千六百戸、前に食む所を除く。斉の右丞相と為り、斉に備ふ。五歳にして斉の相国と為る。四月、陳豨を撃ち、太尉勃に属し、相国を以て丞相噲に代はりて豨を撃つ。一月、徙りて代の相国と為り、屯を将ゐる。二歳にして、代の丞相と為り、屯を将ゐる。孝恵の五年卒し、謚して景侯と為す。子頃侯精立ち、二十四年にして卒す。子共侯則立ち、十二年にして卒す。子侯偃立ち、三十一年、淮南王と謀反するに坐して死し、国除かる。信武侯靳歙(きんきゅう)は、中涓を以て従ひ、宛朐に起つ。済陽を攻む。李由の軍を破る。秦の軍を亳の南・開封の東北に撃ち、騎の千人将一人を斬り、首五十七級、捕虜七十三人、爵封号臨平君を賜はる。又藍田の北に戦ひ、車司馬二人・騎長一人を斬り、首二十八級、捕虜五十七人。霸上に至る。沛公立ちて漢王と為るや、歙に爵建武侯を賜ひ、遷りて騎都尉と為す。従ひて三秦を定む。別れて西のかた章平の軍を隴西に撃ち、之を破り、隴西の六県を定め、将ゐる所の卒車司馬・
-
『春秋左氏伝』昭公十三年 五利を以って五難を去る德無しと謂ふ可し。王虐にして忌まず、楚の君子干、五難を涉りて以って舊君を殺さんとす。誰か能く之を濟さん。楚國を有つ者は、其れ棄疾か。陳・蔡に君として、城外焉に屬す。苛慝作らず、盜賊伏隱し、私欲あれども違はず、民に怨心無し。先神之に命じ、國民之を信ず。羋姓亂有らば、必ず季實に立つは、楚の常なり。神を獲る、一なり。民有る、二なり。令德、三なり。寵貴、四なり。常に居る、五なり。五利有りて以って五難を去る、誰か能く之を害せん。子干の官は、則ち右尹なり。其の貴寵を數ふれば、則ち庶子なり。神の命ずる所を以ってすれば、則ち又之に遠ざかる。其の貴亡び、其の寵棄てらる。民懷ふこと無く、國與する無し。將た何を以ってか立たん」と。宣子曰く、「齊桓・晉文も、亦た是ならずや」と。對へて曰く、「齊桓は、衛姬の子なり。僖に寵有り。鮑叔牙・賓須無・隰朋有りて、以って輔佐と為す。莒・衛有りて、以って外主と為す。國・高有りて、以って内主と為す。善に從ふこと流るるが如く、

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る