淮南子 / 氾論訓
蘇秦,匹夫徒步之人也,靻蹻贏蓋,經營萬乘之主,服諾諸侯,然不自免於車裂之患。徐偃王被服慈惠,身行仁義,陸地之朝者三十二國,然而身死國亡,子孫無類。大夫種輔翼越王句踐,而為之報怨雪恥,擒夫差之身,開地數千里,然而身伏屬鏤而死。此皆達於治亂之機,而未知全性之具者。故萇弘知天道而不知人事,蘇秦知權謀而不知禍福,徐偃王知仁義而不知時,大夫種知忠而不知謀。
新字:蘇秦,匹夫徒歩之人也,靻蹻贏蓋,経営万乗之主,服諾諸侯,然不自免於車裂之患。徐偃王被服慈恵,身行仁義,陸地之朝者三十二国,然而身死国亡,子孫無類。大夫種輔翼越王句践,而為之報怨雪恥,擒夫差之身,開地数千里,然而身伏属鏤而死。此皆達於治乱之機,而未知全性之具者。故萇弘知天道而不知人事,蘇秦知権謀而不知禍福,徐偃王知仁義而不知時,大夫種知忠而不知謀。
書き下し
蘇秦は、匹夫徒步の人なり。靻蹻贏蓋して、萬乘の主を經營し、諸侯を服諾せしむ。然れども自ら車裂の患を免れず。徐偃王は慈惠を被服し、身ら仁義を行い、陸地の朝する者 三十二國なり。然れども身 死し國 亡び、子孫 類無し。大夫種は越王句踐を輔翼して、之が爲に怨に報い恥を雪ぎ、夫差の身を擒にし、地を開くこと數千里なり。然れども身 屬鏤に伏して死す。此れ皆な治亂の機に達して、未だ性を全うするの具を知らざる者なり。故に萇弘は天道を知りて人事を知らず、蘇秦は權謀を知りて禍福を知らず、徐偃王は仁義を知りて時を知らず、大夫種は忠を知りて謀を知らず。
現代語訳
蘇秦は、庶民で徒歩の人であった。革の草鞋に粗末な笠で、万乗の君主たちを渡り歩き、諸侯を従わせた。それでも車裂きの患いを免れなかった。徐偃王は慈しみと恵みを身にまとい、自ら仁義を行い、陸路で朝しに来る国が三十二を数えた。それでも身は死に国は亡び、子孫は絶えた。大夫種は越王勾践を助けて、怨みに報い恥をすすぎ、夫差を捕らえ、数千里の地を開いた。それでも属鏤の剣に伏して死んだ。これはみな治乱の機微には通じていながら、身を全うする手立てを知らなかった者である。だから萇弘は天の道を知って人の事を知らず、蘇秦は権謀を知って禍福を知らず、徐偃王は仁義を知って時を知らず、大夫種は忠を知って謀を知らなかった。
解説
この章句が説くこと
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