淮南子 / 氾論訓
今世之為武者則非文也,為文者則非武也,文武更相非,而不知時世之用也。此見隅曲之一指,而不知八極之廣大也。故東面而望,不見西牆;南面而視,不睹北方;唯無所嚮者,則無所不通。國之所以存者,道德也;家之所以亡者,理塞也。堯無百戶之郭,舜無置錐之地,以有天下。禹無十人之眾,湯無七里之分,以王諸侯。文王處岐周之間也,地方不過百里,而立為天子者,有王道也。夏桀、殷紂之盛也,人跡所至,舟車所通,莫不為郡縣,然而身死人手,而為天下笑者,有亡形也。故聖人見化以觀其徵。德有盛衰,風先萌焉。故得王道者,雖小必大;有亡形者,雖成必敗。
新字:今世之為武者則非文也,為文者則非武也,文武更相非,而不知時世之用也。此見隅曲之一指,而不知八極之広大也。故東面而望,不見西牆;南面而視,不睹北方;唯無所嚮者,則無所不通。国之所以存者,道徳也;家之所以亡者,理塞也。堯無百戸之郭,舜無置錐之地,以有天下。禹無十人之衆,湯無七里之分,以王諸侯。文王処岐周之間也,地方不過百里,而立為天子者,有王道也。夏桀、殷紂之盛也,人跡所至,舟車所通,莫不為郡県,然而身死人手,而為天下笑者,有亡形也。故聖人見化以観其徴。徳有盛衰,風先萌焉。故得王道者,雖小必大;有亡形者,雖成必敗。
書き下し
今世の武を爲す者は則ち文を非とし、文を爲す者は則ち武を非とす。文武 更々相い非として、時世の用を知らざるなり。此れ隅曲の一指を見て、八極の廣大を知らざるなり。故に東面して望めば、西牆を見ず。南面して視れば、北方を睹ず。唯だ嚮かう所無き者のみ、則ち通ぜざる所無し。國の存する所以の者は、道德なり。家の亡ぶる所以の者は、理 塞がればなり。堯に百戶の郭無く、舜に錐を置くの地無きも、以て天下を有てり。禹に十人の眾無く、湯に七里の分無きも、以て諸侯に王たり。文王 岐周の間に處るや、地は方 百里に過ぎざるも、立ちて天子と爲りし者は、王道有ればなり。夏桀・殷紂の盛んなるや、人跡の至る所、舟車の通ずる所、郡縣と爲らざる莫し。然れども身 人の手に死して、天下の笑いと爲りし者は、亡形有ればなり。故に聖人は化を見て以て其の徵を觀る。德に盛衰有り、風 先ず焉に萌す。故に王道を得たる者は、小と雖も必ず大なり。亡形有る者は、成ると雖も必ず敗る。
現代語訳
いまの世で武を行う者は文を非とし、文を行う者は武を非とする。文と武が互いに非とし合って、その時代に何が要るかを知らない。これは片隅の一本の指を見て、八方の広さを知らないのである。東を向いて望めば西の壁は見えない。南を向いて見れば北は見えない。ただどこも向いていない者だけが、通じないところがない。国が保たれる理由は道と徳であり、家が亡ぶ理由は道理が塞がることである。堯には百戸の城郭もなく、舜には錐を立てる土地もなかったが、天下を得た。禹には十人の兵もなく、湯には七里の領地もなかったが、諸侯の王となった。文王が岐周にいたときは、土地は百里四方に過ぎなかったのに天子として立てたのは、王の道があったからである。夏の桀や殷の紂が盛んだったときは、人の足跡の届くところ、舟や車の通うところ、郡県とならないものはなかった。それでも他人の手にかかって死に、天下の笑いものとなったのは、亡びる形があったからである。だから聖人は変化を見てその兆しを観る。徳に盛んと衰えがあり、風が先に兆す。だから王の道を得た者は、小さくても必ず大きくなる。亡びる形のある者は、成し遂げても必ず敗れる。
解説
この章句が説くこと
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