淮南子 / 氾論訓
今夫盲者行於道,人謂之左則左,謂之右則右,遇君子則易道,遇小人則陷溝壑。何則?目無以接物也。故魏兩用樓翟、吳起而亡西河,湣王專用淖齒而死于東廟,無術以御之也。文王兩用呂望、召公奭而王,楚莊王專任孫叔敖而霸,有術以御之也。夫弦歌鼓舞以為樂,盤旋揖讓以修禮,厚葬久喪以送死,孔子之所立也,而墨子非之。兼愛尚賢,右鬼非命,墨子之所立也,而楊子非之。全性保真,不以物累形,楊子之所立也,而孟子非之。趨捨人異,各有曉心。故是非有處,得其處則無非,失其處則無是。丹穴、太蒙、反踵、空同、大夏、北戶、奇肱、脩股之民,是非各異,習俗相反,君臣上下,夫婦父子,有以相使也。此之是,非彼之是也;此之非,非彼之非也;譬若斤斧椎鑿之各有所施也。
新字:今夫盲者行於道,人謂之左則左,謂之右則右,遇君子則易道,遇小人則陥溝壑。何則?目無以接物也。故魏両用楼翟、吳起而亡西河,湣王専用淖齒而死于東廟,無術以御之也。文王両用呂望、召公奭而王,楚荘王専任孫叔敖而覇,有術以御之也。夫弦歌鼓舞以為楽,盤旋揖譲以修礼,厚葬久喪以送死,孔子之所立也,而墨子非之。兼愛尚賢,右鬼非命,墨子之所立也,而楊子非之。全性保真,不以物累形,楊子之所立也,而孟子非之。趨捨人異,各有暁心。故是非有処,得其処則無非,失其処則無是。丹穴、太蒙、反踵、空同、大夏、北戸、奇肱、脩股之民,是非各異,習俗相反,君臣上下,夫婦父子,有以相使也。此之是,非彼之是也;此之非,非彼之非也;譬若斤斧椎鑿之各有所施也。
書き下し
今夫れ盲者の道を行くや、人 之に左と謂えば則ち左し、右と謂えば則ち右す。君子に遇えば則ち道を易え、小人に遇えば則ち溝壑に陷る。何となれば則ち、目 以て物に接する無ければなり。故に魏は樓翟・吳起を兩用して西河を亡い、湣王は專ら淖齒を用いて東廟に死す。之を御するに術無ければなり。文王は呂望・召公奭を兩用して王たり、楚の莊王は專ら孫叔敖に任じて霸たり。之を御するに術有ればなり。夫れ弦歌鼓舞して以て樂と爲し、盤旋揖讓して以て禮を修め、厚葬久喪して以て死を送るは、孔子の立つる所なり。而して墨子 之を非とす。兼愛尚賢、右鬼非命は、墨子の立つる所なり。而して楊子 之を非とす。性を全うし真を保ち、物を以て形を累わさざるは、楊子の立つる所なり。而して孟子 之を非とす。趨捨 人ごとに異なり、各々曉る心有り。故に是非に處有り。其の處を得れば則ち非無く、其の處を失えば則ち是無し。丹穴・太蒙・反踵・空同・大夏・北戶・奇肱・脩股の民、是非 各々異なり、習俗 相い反するも、君臣上下、夫婦父子、以て相い使う有るなり。此の是は、彼の是に非ざるなり。此の非は、彼の非に非ざるなり。譬えば斤斧椎鑿の各々施す所有るがごとし。
現代語訳
盲人が道を行くとき、人が左と言えば左に、右と言えば右に行く。君子に会えば道を替えてもらえるが、小人に会えば溝に落ちる。なぜか。目で物に触れられないからである。だから魏は楼翟と呉起を二人とも用いながら西河を失い、湣王はもっぱら淖歯を用いて東の廟で死んだ。御する術がなかったからである。文王は呂望と召公奭を二人とも用いて王となり、楚の荘王はもっぱら孫叔敖に任せて覇となった。御する術があったからである。歌い舞うことを楽とし、進み退き譲り合うことで礼を修め、厚く葬り長く喪に服して死者を送るのは、孔子が立てたものである。だが墨子はこれを非とする。分け隔てなく愛し賢者を尊び、鬼神を認め運命を否定するのは、墨子が立てたものである。だが楊子はこれを非とする。性を全うし真を保ち、物のために身を煩わせないのは、楊子が立てたものである。だが孟子はこれを非とする。取捨は人ごとに違い、それぞれ納得している心がある。だから是非には置き所がある。その置き所を得れば非はなく、置き所を失えば是はない。丹穴・太蒙・反踵・空同・大夏・北戸・奇肱・脩股の民は、是非がそれぞれ違い、習わしが正反対でも、君臣上下、夫婦父子は互いに用い合っている。こちらの是はあちらの是ではなく、こちらの非はあちらの非ではない。たとえば斧や槌や鑿に、それぞれ使いどころがあるようなものだ。
解説
この章句が説くこと
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