淮南子 / 氾論訓
夫殷變夏,周變殷,春秋變周,三代之禮不同,何古之從!大人作而弟子循。知法治所由生,則應時而變;不知法治之源,雖循古,終亂。今世之法籍與時變,禮義與俗易,為學者循先襲業,據籍守舊教,以為非此不治,是猶持方枘而周員鑿也,欲得宜適致固焉,則難矣。今儒墨者稱三代、文武而弗行,是言其所不行也;非今時之世而弗改,是行其所非也。稱其所是,行其所非,是以盡日極慮而無益於治,勞形竭智而無補於主也。
新字:夫殷変夏,周変殷,春秋変周,三代之礼不同,何古之従!大人作而弟子循。知法治所由生,則応時而変;不知法治之源,雖循古,終乱。今世之法籍与時変,礼義与俗易,為学者循先襲業,拠籍守旧教,以為非此不治,是猶持方枘而周員鑿也,欲得宜適致固焉,則難矣。今儒墨者称三代、文武而弗行,是言其所不行也;非今時之世而弗改,是行其所非也。称其所是,行其所非,是以尽日極慮而無益於治,労形竭智而無補於主也。
書き下し
夫れ殷は夏を變じ、周は殷を變じ、春秋は周を變ず。三代の禮 同じからず。何の古にか從わん。大人 作して弟子 循う。法治の由りて生ずる所を知らば、則ち時に應じて變ず。法治の源を知らざれば、古に循うと雖も、終に亂る。今世の法籍は時と與に變じ、禮義は俗と與に易わる。學を爲す者 先を循い業を襲い、籍に據り舊教を守りて、以爲えらく此に非ざれば治まらずと。是れ猶お方枘を持して員鑿に周らんとするがごとし。宜適を得て固きを致さんと欲するも、則ち難し。今 儒墨なる者は三代・文武を稱して行わず。是れ其の行わざる所を言うなり。今時の世を非として改めず。是れ其の非とする所を行うなり。其の是とする所を稱し、其の非とする所を行う。是を以て日を盡くし慮を極むるも治に益無く、形を勞し智を竭くすも主に補う無きなり。
現代語訳
殷は夏を変え、周は殷を変え、春秋の世は周を変えた。三代の礼は同じでない。どの古に従うのか。大人が始め、弟子が従う。法や治めがどこから生じたかを知っていれば、時に応じて変えられる。その源を知らなければ、古に従っても結局は乱れる。いまの世の法は時とともに変わり、礼義は習わしとともに移る。学ぶ者が先例に従い旧来の教えを守り、これでなければ治まらないと思うのは、四角い枘を持って丸い穴に合わせようとするようなものだ。ぴったり合わせて固く留めようとしても、難しい。いまの儒家や墨家は三代や文王武王を称えながら行わない。それは自分が行わないことを語っているのである。今の世を非としながら改めない。それは自分が非とすることを行っているのである。是とすることを口にし、非とすることを行う。だから一日じゅう考え尽くしても治めに益がなく、体を疲れさせ知恵を尽くしても主の助けにならない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
説苑・說叢君子の言は寡くして實あり、小人の言は多くして虛あり。君子の學や、耳に入り、心に藏し、之を行うに身を以てす。君子の治や、見るに足らざるに始まり、及ぶべからざるに終わる。君子は福を慮ること及ばず、禍を慮ること之を百にす。君子は人を擇びて取り、人を擇ばずして與う。君子は實なること虛の如く、有ること無きが如し。
-
易経・繋辞上子曰く、「君子其の室に居りて、其の言を出だすに、善なれば則ち千里の外も之に応ず。況んや其の邇(ちか)き者をや。其の室に居りて、其の言を出だすに善ならざれば、則ち千里の外も之に違(たが)う。況んや其の邇き者をや。言は身より出でて、民に加わり、行いは邇きより発して、遠きに見(あら)わる。言行は君子の枢機(すうき)なり。枢機の発するは、栄辱の主なり。言行は、君子の天地を動かす所以なり。慎まざるべけんや」と。
-
言志四録・南洲手抄信を人に取るは難し。人は口を信ぜずして躬を信ず。躬を信ぜずして心を信ず。是を以て難し。
-
孫子・行軍篇辞卑くして備えを益す者は、進むなり。辞強くして進駆する者は、退くなり。軽車先ず出でて其の側に居る者は、陣するなり。約無くして和を請う者は、謀るなり。
-
説苑・權謀下蔡の威公門を閉ぢて哭す。三日三夜、泣盡きて繼ぐに血を以てす。旁鄰牆を窺ひて之を問ふ。曰く、「子何の故ありて哭し、悲しむこと此くの若きや」と。對へて曰く、「吾が國且に亡びんとす」と。曰く、「何を以て之を知るや」と。之に應へて曰く、「吾聞く、病の將に死せんとするや、良醫爲すべからず。國の將に亡びんとするや、計謀爲すべからずと。吾數〻吾が君を諫むるも、吾が君用ゐず。是を以て國の將に亡びんとするを知るなり」と。是に於て牆を窺ふ者其の言を聞き、則ち宗を舉げて之を楚に去る。居ること數年、楚王果して兵を舉げて蔡を伐つ。牆を窺ふ者司馬と爲り、兵を將ゐて往來し、虜甚だ衆し。問ひて曰く、「昆弟故人有ること無きか」と。威公の縛せられて虜中に在るを見て、問ひて曰く、「若何を以て此に至れる」と。應へて曰く、「吾何を以て此に至らざらんや。且つ吾之を聞く、言ふ者は行ふ者の役なり、行ふ者は言ふ者の主なり。汝能く吾が言を行はば、汝主爲り、我役爲り。吾亦た何を以て此に至らざらんや」と。牆を窺ふ者乃ち之を楚王に言ひ、遂に其の縛を解き、與に俱に楚に之く。故に曰く、「能く言ふ者は未だ必ずしも能く行はず、能く行ふ者は未だ必ずしも能く言はず」と。
-
『南洲翁遺訓』第五条或る時「幾歴辛酸志始堅。丈夫玉砕愧甎全。一家遺事人知否。不為児孫買美田。」との七絶を示されて、若し此の言に違ひなば、西郷は言行反したりとて見限られよと申されける。