淮南子 / 齊俗訓
今從箕子視比干,則愚矣;從比干視箕子,則卑矣;從管、晏視伯夷,則戇矣;從伯夷視管、晏,則貪矣。趨舍相非,嗜欲相反,而各樂其務,將誰使正之?曾子曰:「擊舟水中,鳥聞之而高翔,魚聞之而淵藏。」故所趨各異,而皆得所便。故惠子從車百乘以過孟諸,莊子見之,棄其餘魚。鵜胡飲水數斗而不足,鱔鮪入口若露而死,智伯有三晉而欲不澹,林類、榮啟期衣若縣衰而意不慊。由此觀之,則趣行各異,何以相非也!
新字:今従箕子視比干,則愚矣;従比干視箕子,則卑矣;従管、晏視伯夷,則戇矣;従伯夷視管、晏,則貪矣。趨舎相非,嗜欲相反,而各楽其務,将誰使正之?曽子曰:「擊舟水中,鳥聞之而高翔,魚聞之而淵蔵。」故所趨各異,而皆得所便。故恵子従車百乗以過孟諸,荘子見之,棄其余魚。鵜胡飲水数斗而不足,鱔鮪入口若露而死,智伯有三晉而欲不澹,林類、栄啟期衣若県衰而意不慊。由此観之,則趣行各異,何以相非也!
書き下し
今 箕子より比干を視れば、則ち愚なり。比干より箕子を視れば、則ち卑し。管・晏より伯夷を視れば、則ち戇なり。伯夷より管・晏を視れば、則ち貪なり。趨舍 相い非とし、嗜欲 相い反して、各々其の務めを樂しむ。將に誰をして之を正さしめんとするか。曾子曰く、「舟を水中に擊てば、鳥 之を聞きて高く翔り、魚 之を聞きて淵に藏る」と。故に趨く所 各々異なるも、皆な便とする所を得。故に惠子 車百乘を從えて以て孟諸を過ぐ。莊子 之を見て、其の餘魚を棄つ。鵜胡は水を飲むこと數斗にして足らず、鱔鮪は口に入ること露の若くにして死す。智伯は三晉を有ちて欲 澹らず、林類・榮啟期は衣 縣衰の若くにして意 慊らず。此に由りて之を觀れば、則ち趣行 各々異なる。何を以て相い非とせんや。
現代語訳
いま箕子の側から比干を見れば愚かであり、比干の側から箕子を見れば卑しい。管仲や晏嬰の側から伯夷を見れば馬鹿げており、伯夷の側から管仲や晏嬰を見れば貪欲である。取捨は互いを非とし、好みは互いに反対で、それぞれ自分の務めを楽しんでいる。誰にそれを正させようというのか。曾子は言った、「舟を水の中で打てば、鳥はそれを聞いて高く飛び、魚はそれを聞いて淵に隠れる」。だから向かう先はそれぞれ違っても、みな自分に都合のよいところを得ている。だから恵子が車百乗を連ねて孟諸を通ったとき、荘子はそれを見て、自分の余った魚を捨てた。鵜は水を数斗飲んでも足りず、鰻や鮪は露ほど口に入れば死ぬ。智伯は三晋を持っても欲が満たされず、林類や栄啓期はぼろの衣でも心に不足がなかった。これによって見れば、向かうところはそれぞれ違う。どうして互いを非とできようか。
解説
この章句が説くこと
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