淮南子 / 氾論訓
今夫圖工好畫鬼魅,而憎圖狗馬者,何也?鬼魅不世出,而狗馬可日見也。夫存危治亂,非智不能;道而先稱古,雖愚有餘。故不用之法,聖王弗行;不驗之言,聖王弗聽。天地之氣,莫大於和。和者,陰陽調,日夜分,而生物。春分而生,秋分而成,生之與成,必得和之精。故聖人之道,寬而栗,嚴而溫,柔而直,猛而仁。太剛則折,太柔則卷,聖人正在剛柔之間,乃得道之本。積陰則沉,積陽則飛,陰陽相接,乃能成和。
新字:今夫図工好画鬼魅,而憎図狗馬者,何也?鬼魅不世出,而狗馬可日見也。夫存危治乱,非智不能;道而先称古,雖愚有余。故不用之法,聖王弗行;不験之言,聖王弗聴。天地之気,莫大於和。和者,陰陽調,日夜分,而生物。春分而生,秋分而成,生之与成,必得和之精。故聖人之道,寛而栗,厳而温,柔而直,猛而仁。太剛則折,太柔則巻,聖人正在剛柔之間,乃得道之本。積陰則沈,積陽則飛,陰陽相接,乃能成和。
書き下し
今夫れ圖工の鬼魅を畫くを好みて、狗馬を圖くを憎む者は、何ぞや。鬼魅は世に出でずして、狗馬は日に見る可ければなり。夫れ危きを存し亂れを治むるは、智に非ざれば能わず。道いて先ず古を稱するは、愚と雖も餘り有り。故に用いざるの法は、聖王 行わず。驗せざるの言は、聖王 聽かず。天地の氣、和より大なるは莫し。和なる者は、陰陽 調い、日夜 分かれて、物を生ずるなり。春に分かれて生じ、秋に分かれて成る。生ずると成ると、必ず和の精を得ればなり。故に聖人の道は、寬にして栗、嚴にして溫、柔にして直、猛にして仁なり。太だ剛なれば則ち折れ、太だ柔なれば則ち卷く。聖人は正に剛柔の間に在りて、乃ち道の本を得たり。陰を積めば則ち沉み、陽を積めば則ち飛ぶ。陰陽 相い接して、乃ち能く和を成す。
現代語訳
絵師が鬼や妖怪を描くのを好み、犬や馬を描くのを嫌うのはなぜか。鬼や妖怪は世に現れず、犬や馬は毎日見られるからである。危ういものを保ち乱れたものを治めるのは、知恵がなければできない。だが物を言うのに先に古を持ち出すのは、愚か者でも十分にできる。だから使えない法を、聖王は行わない。試して確かめていない言葉を、聖王は聴かない。天地の気で、和より大きいものはない。和とは、陰と陽が調い、昼と夜が分かれて、物を生じさせることである。春に分かれて生じ、秋に分かれて成る。生じることも成ることも、必ず和の精を得ているからである。だから聖人の道は、寛いが引き締まり、厳しいが温かく、柔らかいがまっすぐで、猛々しいが仁がある。剛すぎれば折れ、柔らかすぎれば巻いてしまう。聖人はちょうど剛と柔のあいだにいて、道の本を得ている。陰を積めば沈み、陽を積めば飛ぶ。陰と陽が接して、はじめて和が成る。
解説
この章句が説くこと
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