南洲翁遺訓 / 第五条
或る時「幾歴辛酸志始堅。丈夫玉砕愧甎全。一家遺事人知否。不為児孫買美田。」との七絶を示されて、若し此の言に違ひなば、西郷は言行反したりとて見限られよと申されける。
書き下し
或る時「幾歴辛酸志始堅。丈夫玉砕愧甎全。一家遺事人知否。不為児孫買美田。」との七絶を示されて、若し此の言に違ひなば、西郷は言行反したりとて見限られよと申されける。
現代語訳
あるとき「幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し。丈夫は玉砕して甎全を愧づ。一家の遺事人知るや否や。児孫の為に美田を買はず」という七言絶句を示されて、もしこの言葉に背いたなら、西郷は言行が反していると見限ってくれ、と言われた。
解説
西郷の詩のなかでもっとも知られた一首で、結びの「児孫の為に美田を買はず」は今も引かれる。子孫のために良い田を買い残すことはしない、という意味である。前半の対句も強い。「丈夫は玉砕して甎全を愧づ」——立派な男は玉となって砕けることを選び、瓦となって全うすることを恥じる。ただ、この条の眼目は詩そのものよりも、そのあとに置かれた一言にある。「若し此の言に違ひなば、西郷は言行反したりとて見限られよ」。自分の言葉を、自分を見限るための物差しとして弟子に渡している。言ったことを守れなかったら、遠慮なく見限れ、と。理想を掲げる者が同時に負うべき覚悟を、これほど簡潔に示した例は少ない。
この章句が説くこと
児孫の為に美田を買わず玉砕と甎全言行自らを測らせる
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