淮南子 / 氾論訓
先王之制,不宜則廢之;末世之事,善則著之;是故禮樂未始有常也。故聖人制禮樂,而不制於禮樂。治國有常,而利民為本。政教有經,而令行為上。苟利於民,不必法古。苟周於事,不必循舊。夫夏、商之衰也,不變法而亡。三代之起也,不相襲而王。故聖人法與時變,禮與俗化,衣服器械各便其用,法度制令各因其宜。故變古未可非,而循俗未足多也。百川異源而皆歸於海,百家殊業而皆務於治。
新字:先王之制,不宜則廃之;末世之事,善則著之;是故礼楽未始有常也。故聖人制礼楽,而不制於礼楽。治国有常,而利民為本。政教有経,而令行為上。苟利於民,不必法古。苟周於事,不必循旧。夫夏、商之衰也,不変法而亡。三代之起也,不相襲而王。故聖人法与時変,礼与俗化,衣服器械各便其用,法度制令各因其宜。故変古未可非,而循俗未足多也。百川異源而皆帰於海,百家殊業而皆務於治。
書き下し
先王の制、宜しからざれば則ち之を廢す。末世の事、善ければ則ち之を著す。是の故に禮樂 未だ始めより常有らざるなり。故に聖人は禮樂を制して、禮樂に制せられず。國を治むるに常有り、而して民を利するを本と爲す。政教に經有り、而して令の行わるるを上と爲す。苟くも民に利あらば、必ずしも古に法らず。苟くも事に周からば、必ずしも舊に循わず。夫れ夏・商の衰うるや、法を變ぜずして亡ぶ。三代の起こるや、相い襲わずして王たり。故に聖人は法 時と與に變じ、禮 俗と與に化す。衣服器械は各々其の用に便にし、法度制令は各々其の宜しきに因る。故に古を變ずるは未だ非とす可からずして、俗に循うは未だ多とするに足らざるなり。百川 源を異にして皆な海に歸し、百家 業を殊にして皆な治に務む。
現代語訳
先王の制度でも、ふさわしくなければ廃する。後の世の事でも、善ければ書き留める。だから礼楽にはもともと定まった形がない。だから聖人は礼楽を作るのであって、礼楽に作られはしない。国を治めるのに常道はあるが、民を利することを本とする。政と教えに筋道はあるが、令が行われることを上とする。民の利になるなら、必ずしも古に倣わない。事が行き渡るなら、必ずしも旧に従わない。夏と殷が衰えたのは、法を変えないまま亡んだのである。三代が起こったのは、互いに踏襲しないまま王となったのである。だから聖人は法を時とともに変え、礼を習わしとともに変える。衣服も器具もそれぞれ使いやすくし、法や制度もそれぞれ適したところに拠る。だから古を変えることを非としてはならず、習わしに従うことを褒めるにも足りない。多くの川は源を異にしてみな海に帰り、多くの学派は仕事を異にしてみな治めることに努める。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『塩鉄論』遵道篇文學曰く、師曠の五音を調うるや、宮商を失わず。聖王の世を治むるや、仁義を離れず。故に制を改むるの名有るも、道を變ずるの實無し。上は黃帝より、下は三王に及ぶまで、德教を明らかにし、庠序を謹み、仁義を崇び、教化を立てざる莫し。此れ百世不易の道なり。殷・周は因循して昌え、秦王は法を變じて亡ぶ。詩に云う、『老成人無しと雖も、尚お典刑有り』と。法教を言うなり。故に沒して之を存し、舉げて之を貫き、貫きて之を行う、何ぞ更めて為さんや。
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易経・彖伝革(かく)は、水火相い息(け)し、二女同居して、其の志相い得ざるを革と曰う。「已日(いじつ)にして乃ち孚(まこと)とせらる」とは、革(あらた)めて之を信ずるなり。文明にして以て説(よろこ)び、大いに亨(とお)りて以て正し。革めて当たれば、其の悔い乃ち亡(な)し。天地革まりて四時(しじ)成り、湯武(とうぶ)命を革(あらた)むるは、天に順(したが)いて人に応ずるなり。革の時、大なるかな。
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孫子・九地篇帥いて之と期するや、高きに登りて其の梯を去るが如し。帥いて之と深く諸侯の地に入りて、其の機を発すること、舟を焚き釜を破り、群羊を駆るが若し。駆りて往き、駆りて来たり、之く所を莫知らしむ。三軍の衆を聚めて、之を険に投ず。此を将軍の事と謂う。
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論語・先進篇子貢問う、「師と商とは孰れか賢れる。」子曰く、「師や過ぎたり、商や及ばず。」曰く、「然らば則ち師愈れるか。」子曰く、「過ぎたるは猶お及ばざるがごとし。」
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論語・郷党篇食は精を厭わず、膾は細きを厭わず。食の饐して餲せると、魚の餒れて肉の敗れたるとは、食らわず。色悪しきは食らわず、臭悪しきは食らわず。飪を失えるは食らわず、時ならざるは食らわず。割正しからざるは食らわず、其の醬を得ざれば食らわず。肉は多しと雖も、食気に勝たしめず。唯だ酒は量無きも、乱に及ばず。沽える酒と市える脯とは食らわず。薑を撤てて食らい、多くは食らわず。公に祭れば、肉を宿さず。祭肉は三日を出ださず。三日を出ずれば、之を食らわず。食らうに語らず、寝ぬるに言わず。疏食菜羹瓜と雖も祭れば、必ず斉如たり。
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論語・憲問篇子路、成人を問う。子曰く、「臧武仲の知、公綽の不欲、卞荘子の勇、冉求の芸の若き、之を文るに礼楽を以てせば、亦た以て成人と為す可し。」曰く、「今の成人なる者は、何ぞ必ずしも然らん。利を見ては義を思い、危うきを見ては命を授け、久要平生の言を忘れざれば、亦た以て成人と為す可し。」