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淮南子 / 道應訓

灃水之深千仞,而不受塵垢,投金鐵針焉,則形見於外。非不深且淸也,魚鱉龍蛇莫之肯歸也。是故石上不生五穀,禿山不遊麋鹿,無所陰蔽隱也。昔趙文子問於叔向曰:「晉六將軍,其孰先亡乎?」對曰:「中行、知氏。」文子曰:「何乎?」對曰:「其爲政也,以苛以察,以切爲明,以刻下爲忠,以計多爲功,譬之猶廓革者也。廓之,大則大矣,裂之道也。」故老子曰:「其政悶悶,其民純純,其政察察,其民缺缺。」

新字:灃水之深千仞,而不受塵垢,投金鉄針焉,則形見於外。非不深且清也,魚鱉竜蛇莫之肯帰也。是故石上不生五穀,禿山不遊麋鹿,無所陰蔽隠也。昔趙文子問於叔向曰:「晉六将軍,其孰先亡乎?」対曰:「中行、知氏。」文子曰:「何乎?」対曰:「其為政也,以苛以察,以切為明,以刻下為忠,以計多為功,譬之猶廓革者也。廓之,大則大矣,裂之道也。」故老子曰:「其政悶悶,其民純純,其政察察,其民欠欠。」

書き下し

灃水の深さ千仞なるも、塵垢を受けず。金鐵の針を焉に投ずれば、則ち形 外に見わる。深くして且つ淸からざるに非ざるなり。魚鱉龍蛇 之に歸するを肯んずる莫し。是の故に石上に五穀 生ぜず、禿山に麋鹿 遊ばず。陰蔽隱るる所無ければなり。昔 趙文子 叔向に問いて曰く、「晉の六將軍、其れ孰れか先に亡びんか」と。對えて曰く、「中行・知氏なり」と。文子曰く、「何ぞや」と。對えて曰く、「其の政を爲すや、苛を以てし察を以てし、切を以て明と爲し、下を刻するを以て忠と爲し、計の多きを以て功と爲す。之を譬うれば猶お革を廓ぐる者のごときなり。之を廓ぐれば、大なれば則ち大なるも、裂くるの道なり」と。故に老子曰く、「其の政 悶悶たれば、其の民 純純たり。其の政 察察たれば、其の民 缺缺たり」と。

現代語訳

澧水は千仞の深さで、塵や垢を受けつけない。金や鉄の針を投げ込めば、その形が外から見える。深くて清くないわけではない。それでも魚もすっぽんも龍も蛇も、そこへ帰ろうとしない。だから石の上に五穀は生えず、はげ山に鹿は遊ばない。隠れる場所がないからである。昔、趙文子が叔向に問うた、「晋の六人の将軍のうち、どれが先に亡ぶだろうか」。答えて言った、「中行氏と知氏です」。文子は言った、「なぜか」。答えて言った、「その政の行い方は、苛烈で細かく、切り込むことを明るさとし、下を削ることを忠とし、計算が多いことを功とします。たとえるなら革を引き伸ばす者のようなものです。伸ばせば、大きくはなりますが、裂ける道です」。だから老子は言った、「その政がぼんやりしていれば、民は素朴である。その政が細かく見張れば、民は欠けだらけになる」。

解説

澄みすぎて何も棲まない川、という導入が見事です。針を落とせば底から見える清さなのに、生き物は寄りつかない。「陰蔽隱るる所無ければなり」。隠れる余地のない場所には、誰も住めない。そこから中行氏と知氏の政に話が移ります。細かく見張り、下を削り、計算の多さを手柄とする。革を引き伸ばすようなもので、大きくはなるが裂ける、と。

この章句が説くこと

灃水の深さ千仞なるも塵垢を受けず魚鱉竜蛇之に帰するを肯んずる莫し石上に五穀生ぜず禿山に麋鹿遊ばず陰蔽隠るる所無ければなり其の政を為すや苛を以てし察を以てし下を刻するを以て忠と為す之を廓ぐれば大なれば則ち大なるも裂くるの道なり寛容

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