淮南子 / 道應訓
罔兩問於景曰:「昭昭者,神明也?」景曰:「非也。」罔兩曰:「子何以知之?」景曰:「扶桑受謝,日照宇宙,昭昭之光,輝燭四海,闔戸塞牖,則無由入矣。若神明,四通並流,無所不極,上際於天,下蟠於地。化育萬物而不可爲象,俯仰之間而撫四海之外。昭昭何足以明之!」故老子曰:「天下之至柔,馳騁天下之至堅。」
新字:罔両問於景曰:「昭昭者,神明也?」景曰:「非也。」罔両曰:「子何以知之?」景曰:「扶桑受謝,日照宇宙,昭昭之光,輝燭四海,闔戸塞牖,則無由入矣。若神明,四通並流,無所不極,上際於天,下蟠於地。化育万物而不可為象,俯仰之間而撫四海之外。昭昭何足以明之!」故老子曰:「天下之至柔,馳騁天下之至堅。」
書き下し
罔兩 景に問いて曰く、「昭昭たる者は、神明なるか」と。景曰く、「非なり」と。罔兩曰く、「子 何を以て之を知るか」と。景曰く、「扶桑 謝を受け、日 宇宙を照らす。昭昭の光、四海を輝燭するも、戸を闔ざし牖を塞げば、則ち入る由無し。神明の若きは、四通並流して、極まらざる所無く、上は天に際し、下は地に蟠る。萬物を化育して象と爲す可からず、俯仰の間にして四海の外を撫す。昭昭 何ぞ以て之を明らかにするに足らんや」と。故に老子曰く、「天下の至柔は、天下の至堅を馳騁す」と。
現代語訳
罔両が影に問うた、「あの明るく輝くものは、神明なのか」。影は言った、「違う」。罔両は言った、「あなたはどうしてそれが分かるのか」。影は言った、「扶桑が日を受け渡し、日が宇宙を照らす。その明るい光は四海を照らすが、戸を閉ざし窓を塞げば、入ってくる道がない。神明のほうは、四方に通って流れ、極まらないところがなく、上は天に接し、下は地に蟠る。万物を育てながらかたちにできず、俯き仰ぐわずかの間に四海の外まで及ぶ。あの明るさが、どうしてそれを明らかにするに足りようか」。だから老子は言った、「天下で最も柔らかいものが、天下で最も堅いものを乗りこなす」。
解説
太陽の光は四海を照らすほど強いのに、戸を閉め窓を塞げば入ってこられない。それが「昭昭」の限界だ、と影が説明します。対して神明のほうは通れないところがない。強く輝くものと、隅々まで届くものは別だという区別です。「天下の至柔は、天下の至堅を馳騁す」。押し通す力ではなく、隙間に入れる性質のほうが遠くまで届く、と。
この章句が説くこと
昭昭たる者は神明なるか非なり昭昭の光四海を輝燭するも戸を闔ざし牖を塞げば則ち入る由無し神明の若きは四通並流して極まらざる所無し万物を化育して象と為す可からず天下の至柔は天下の至堅を馳騁す柔
関連する章句
-
論語・雍也篇冉求曰く、「子の道を説ばざるに非ず、力足らざるなり。」子曰く、「力足らざる者は、中道にして廃す。今女は画れり。」
-
うひ山ぶみ・第十八段そはまつかのしなじなある学びのすぢすぢ、いづれもいづれも、やむことなきすぢどもにて、明らめしらではかなはざることなれば、いづれをものこさず、学ばまほしきわざなれども、
-
孫子・形篇故に戦いを善くする者は、不可勝を為すこと能うも、敵をして必ず勝つべからしむること能わず。
-
『塩鉄論』詔聖篇文學曰く、古者、其の仁義の誓いを明らかにして、民をして踰えざらしむ。教えずして殺すは、是れ民を虐ぐるなり。其の刑の踰ゆ可からざるは、義の踰ゆ可からざるに若かず。禮義行われて刑罰中るを聞くも、未だ刑罰行われて孝悌興るを聞かず。高墻狹基は、立つ可からざるなり。嚴刑峻法は、久しかる可からざるなり。二世は趙高の計を信じ、篤責を渫べて誅斷に任ず。刑せらるる者は道に半ばし、死する者は日々に積む。民を殺すこと多き者を忠と為し、民を厲ますこと悉くする者を能と為す。百姓は其の求めに勝えず、黔首は其の刑に勝えず。海內憂いを同じくして俱に生を聊しとせず。故に任に過ぐるの事は、父も子に得ず。已む無きの求めは、君も臣に得ず。死は再びは生きず。窮鼠は貍を齧み、匹夫は萬乘に奔り、舍人は弓を折る。陳勝・吳廣是れなり。此の時に當たりて、天下俱に起こり、四面より秦を攻む。聞くならく一期ならずして社稷は墟と為ると。惡くにか其の能く長く群下を制して、久しく其の國を守るに在らんや。
-
孫子・火攻篇凡そ軍は必ず五火の変有るを知り、数を以て之を守る。故に火を以て攻を佐くる者は明なり、水を以て攻を佐くる者は強なり。水は以て絶つべきも、以て奪うべからず。
-
『鬼谷子』権篇故に目無き者には、示すに五色を以てすべからず。耳無き者には、告ぐるに五音を以てすべからず。故に以て往くべからざる者は、之を開く所無ければなり。以て來たるべからざる者は、之を受くる所無ければなり。物に通ぜざる者有らば、聖人故に事とせざるなり。