淮南子 / 道應訓
楚將子發好求技道之士。楚有善爲偸者,往見曰:「聞君求技道之士。臣,偸也,願以技齎一卒。」子發聞之,衣不給帶,冠不暇正,出見而禮之。左右諫曰:「偸者,天下之盜也。何爲之禮?」君曰:「此非左右之所得與。」後無幾何,齊興兵伐楚,子發將師以當之,兵三卻。楚賢良大夫皆盡其計而悉其誠,齊師愈強。於是市偸進請曰:「臣有薄技,願爲君行之。」子發曰:「諾」。不問其辭而遣之。偸則夜解齊將軍之幬帳而獻之。子發因使人歸之。曰:「卒有出薪者,得將軍之帷,使歸之於執事。」明又復往,取其枕。子發又使人歸之。明日又復往,取其簪。子發又使歸之。齊師聞之,大駭。將軍與軍吏謀曰:「今日不去,楚君恐取吾頭。」乃還師而去。故曰:無細而能薄,在人君用之也。故老子曰:「不善人,善人之資也。」
新字:楚将子発好求技道之士。楚有善為偸者,往見曰:「聞君求技道之士。臣,偸也,願以技齎一卒。」子発聞之,衣不給帯,冠不暇正,出見而礼之。左右諫曰:「偸者,天下之盗也。何為之礼?」君曰:「此非左右之所得与。」後無幾何,斉興兵伐楚,子発将師以当之,兵三却。楚賢良大夫皆尽其計而悉其誠,斉師愈強。於是市偸進請曰:「臣有薄技,願為君行之。」子発曰:「諾」。不問其辞而遣之。偸則夜解斉将軍之幬帳而献之。子発因使人帰之。曰:「卒有出薪者,得将軍之帷,使帰之於執事。」明又復往,取其枕。子発又使人帰之。明日又復往,取其簪。子発又使帰之。斉師聞之,大駭。将軍与軍吏謀曰:「今日不去,楚君恐取吾頭。」乃還師而去。故曰:無細而能薄,在人君用之也。故老子曰:「不善人,善人之資也。」
書き下し
楚の將 子發 技道の士を求むるを好む。楚に善く偸を爲す者有り、往きて見えて曰く、「君 技道の士を求むと聞く。臣は、偸なり。願わくは技を以て一卒に齎らん」と。子發 之を聞き、衣 帶を給せず、冠 正すに暇あらず、出でて見えて之を禮す。左右 諫めて曰く、「偸なる者は、天下の盜なり。何ぞ之を禮するか」と。君曰く、「此れ左右の與るを得る所に非ず」と。後 幾何も無く、齊 兵を興して楚を伐つ。子發 師を將いて以て之に當たるに、兵 三たび卻く。楚の賢良大夫 皆な其の計を盡くして其の誠を悉くすも、齊師 愈々強し。是に於いて市偸 進みて請いて曰く、「臣に薄技有り。願わくは君の爲に之を行わん」と。子發曰く、「諾」と。其の辭を問わずして之を遣る。偸 則ち夜 齊將軍の幬帳を解きて之を獻ず。子發 因りて人をして之を歸さしむ。曰く、「卒に薪を出だす者有り、將軍の帷を得たり。歸すに執事に於いてせしむ」と。明くる日 又た復た往きて、其の枕を取る。子發 又た人をして之を歸さしむ。明日 又た復た往きて、其の簪を取る。子發 又た歸さしむ。齊師 之を聞き、大いに駭く。將軍 軍吏と謀りて曰く、「今日 去らずんば、楚君 恐らくは吾が頭を取らん」と。乃ち師を還して去る。故に曰く、細にして能く薄き無し、人君の之を用うるに在り、と。故に老子曰く、「不善人は、善人の資なり」と。
現代語訳
楚の将軍子発は、技や道のある士を求めるのを好んだ。楚に盗みの上手い者がいて、会いに来て言った、「君が技のある士を求めておられると聞きました。私は盗人です。この技をもって一兵卒として差し出したい」。子発はそれを聞くと、帯を締める間もなく、冠を正す暇もなく、出て行って会い、礼をもって遇した。側近が諫めて言った、「盗人は天下の盗賊です。なぜ礼をなさるのですか」。君は言った、「これはおまえたちの関わることではない」。まもなく、斉が兵を挙げて楚を討った。子発は軍を率いて当たったが、三度退いた。楚の賢良な大夫たちがみな計を尽くし誠を尽くしたが、斉軍はますます強い。そこで市の盗人が進み出て願った、「私には小さな技があります。君のためにそれを行わせてください」。子発は「よし」と言い、その手立てを問わずに送り出した。盗人は夜、斉の将軍の帳を外して持ち帰り、献上した。子発は人をやって返させた。「兵に薪取りに出た者があり、将軍の帳を拾いました。お返しします」。翌日また行って、枕を取った。子発はまた返させた。翌日また行って、簪を取った。子発はまた返させた。斉軍はこれを聞いて大いに驚いた。将軍は軍の役人と相談して言った、「今日去らなければ、楚の君はおそらく私の首を取るだろう」。そして軍を返して去った。だから言う、細かすぎて役に立たない技などない、君主がそれを用いるかどうかにある、と。だから老子は言った、「善からぬ人は、善き人の資である」。
解説
この章句が説くこと
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『甲陽軍鑑』品第十四一上の剛强成る男の仕形は、平生も陣の時は猶ほ以て人にもかまはず働き、前にも我しはざを分別にて工夫し、其塲へ出ては機のきいたる才覚を以て手抦をせんと思ふより、人にも一円搆はぬ者なり、二中の機のきいたる男は上の人に負けまじと機をきいて馳り廻り、上の人におとりて見へぬ者なり、三下の男は只の儀もなく上中の人がゆかば、我等もまいらんとて、ふたりの人に目をつけてつきそひまはる者なり、四其外の男は皆人なみと申すなり、上の男は侍百人の中にふたり、中の男は百人の内に六人、下の男は百人の中に十二人、残て八十人は並なり、
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『徂徠先生答問書』卷中されば人々如此心懸候故、見え兼るもことわりにて候。足下も御先祖様の時代の事御聞可被成候。今の世より見候へば、其時分に名を申候能人と申候は皆疵物にて候。是別の子細に無御座候。其時分はぬり隠し申候事無御座候故、疵見え申候。疵見え申候得ば、人才は見え申候。今時も世上の悪俗に染不申候人は疵多く御座候間、疵物にならでは人才はなき物と被思召、疵物の内にて御ゑらび可被成候。疵もなく才も長じ候人を御尋候はゞ、最前申候御物ずきの注文と申物にて、疵なき人は郷原か巧言令色か扨は庸人と可被思召候。以上。
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