淮南子 / 道應訓
晉文公伐原,與大夫期三日。三日而原不降。文公令去之。軍吏曰:「原不過一二日將降矣。」君曰:「吾不知原三日而不得下也。以與大夫期,盡而不疲,失信得原,吾弗爲也。」原人聞之,曰:「有君若此,可弗降也?」遂降。温人聞,亦請降。故老子曰:「窈兮冥兮,其中有精,其精甚眞,其中有信。」故「美言可以市尊,美行可以加人」。
新字:晉文公伐原,与大夫期三日。三日而原不降。文公令去之。軍吏曰:「原不過一二日将降矣。」君曰:「吾不知原三日而不得下也。以与大夫期,尽而不疲,失信得原,吾弗為也。」原人聞之,曰:「有君若此,可弗降也?」遂降。温人聞,亦請降。故老子曰:「窈兮冥兮,其中有精,其精甚真,其中有信。」故「美言可以市尊,美行可以加人」。
書き下し
晉文公 原を伐つに、大夫と三日を期す。三日にして原 降らず。文公 令して之を去らしむ。軍吏曰く、「原 一二日に過ぎずして將に降らんとす」と。君曰く、「吾 原の三日にして下すを得ざるを知らざりき。以て大夫と期し、盡きて疲れず。信を失いて原を得るは、吾 爲さざるなり」と。原人 之を聞きて曰く、「君 此くの若き有り、降らざる可けんや」と。遂に降る。温人 聞きて、亦た降を請う。故に老子曰く、「窈たり冥たり、其の中に精有り。其の精 甚だ眞にして、其の中に信有り」と。故に「美言は以て尊を市う可く、美行は以て人に加う可し」と。
現代語訳
晋の文公が原を討つにあたり、大夫たちと三日の期限を約束した。三日たっても原は降らなかった。文公は引き上げを命じた。軍の役人が言った、「原はあと一両日で降ります」。君は言った、「私は原を三日で落とせないとは思っていなかった。だが大夫たちと期限を約束し、それが尽き、しかも軍は疲れていない。信を失って原を得ることは、私はしない」。原の人はこれを聞いて言った、「あのような君がいるのに、降らずにいられようか」。そして降った。温の人も聞いて、降伏を願い出た。だから老子は言った、「奥深く暗く、その中に精がある。その精はまことであり、その中に信がある」。だから「美しい言葉は尊敬を買え、美しい行いは人に及ぼせる」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『新序』雜事第四晉の文公原を伐つ。大夫と期すること五日。五日にして原降らず。文公令して之を去らしむ。吏曰く、原は三日に過ぎずして、將に降らんとす。君之を待つに如かざるか、と。君曰く、原を得て信を失う。吾爲さざるなり、と。原人之を聞きて曰く、君の義有ること此くの若し。降らざる可からざるなり、と。遂に降る。温人之を聞き、亦た降らんことを請う。故に曰く、原を伐ちて温降る、と。此の謂いなり。是に於いて諸侯之に歸す。遂に曹を侵し衞を伐ち、踐土の會、温の盟を爲す。後に南のかた強楚を破り、周室を尊び事え、遂に霸功を成し、上は齊桓に次ぐ。本と信は原を伐つに由るなり。
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呂氏春秋・爲欲④凡そ國を治むるは、其の民をして爭いて義行わしめ、亂國は其の民をして爭いて不義を為さしむるなり。彊國は其の民をして爭いて用いらるるを樂しましめ、弱國は其の民をして爭いて用いられざるを競わしむ。夫れ爭いて義を行いて用いらるるを樂しむと、爭いて不義を為して用いられざるを競うとは、此れ其の禍福為ることは、天覆うこと能わず、地載すること能わず。晉の文公、原を伐ち、士と七日を期す。七日して原下らず。命じて之を去らしめんとす。謀士言いて曰く、「原將に下らんとす。」師吏、之を待たんことを請う。公曰く、「信は、國の寶なり。原を得て寶を失うは、吾為さざるなり。」遂に之を去る。明年復た之を伐ち、士と必ず原を得て然る後反らんことを期す。原人之を聞き乃ち下る。衛人之を聞き、文公の信を以て至れりと為し、乃ち文公に歸す。故に、原を攻めて衛を得たりと曰うは、此の謂なり。文公は原を得ることを欲せざるに非ざるなり。不信を以て原を得るは、得ること勿きに若かざればなり。必ず誠信にして以て之を得れば、之に歸する者は獨り衛のみに非ざるなり。文公は欲を求むることを知れりと謂う可し。
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『淮南子』道應訓晉 楚を伐ち、三舍 止まず。大夫 之を撃たんことを請う。莊王曰く、「先君の時、晉 楚を伐たず。孤の身に及びて、晉 楚を伐つ。是れ孤の過ちなり。若何ぞ其れ群大夫を辱めんや」と。曰く、「先臣の時、晉 楚を伐たず。今 臣の身にして、晉 楚を伐つ。此れ臣の罪なり。請う三たび之を撃たん」と。王 俯して泣き、涕 襟を沾し、起ちて群大夫を拜す。晉人 之を聞きて曰く、「君臣 爭いて過ちを以て己に在りと爲し、且つ輕く其の臣に下る。伐つ可からざるなり」と。夜 師を還して歸る。老子曰く、「能く國の垢を受くる、是を社稷の主と謂う」と。
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