淮南子 / 道應訓
晉伐楚,三舍不止。大夫請撃之。莊王曰:「先君之時,晉不伐楚。及孤之身,而晉伐楚,是孤之過也。若何其辱群大夫?」曰:「先臣之時,晉不伐楚。今臣之身,而晉伐楚,此臣之罪也。請三撃之。」王俯而泣,涕沾襟,起而拜群大夫。晉人聞之,曰:「君臣爭以過爲在己,且輕下其臣,不可伐也。」夜還師而歸。老子曰:「能受國之垢,是謂社稷主。」
新字:晋伐楚,三舎不止。大夫請撃之。荘王曰:「先君之時,晋不伐楚。及孤之身,而晋伐楚,是孤之過也。若何其辱群大夫?」曰:「先臣之時,晋不伐楚。今臣之身,而晋伐楚,此臣之罪也。請三撃之。」王俯而泣,涕沾襟,起而拝群大夫。晋人聞之,曰:「君臣争以過為在己,且軽下其臣,不可伐也。」夜還師而帰。老子曰:「能受国之垢,是謂社稷主。」
書き下し
晉 楚を伐ち、三舍 止まず。大夫 之を撃たんことを請う。莊王曰く、「先君の時、晉 楚を伐たず。孤の身に及びて、晉 楚を伐つ。是れ孤の過ちなり。若何ぞ其れ群大夫を辱めんや」と。曰く、「先臣の時、晉 楚を伐たず。今 臣の身にして、晉 楚を伐つ。此れ臣の罪なり。請う三たび之を撃たん」と。王 俯して泣き、涕 襟を沾し、起ちて群大夫を拜す。晉人 之を聞きて曰く、「君臣 爭いて過ちを以て己に在りと爲し、且つ輕く其の臣に下る。伐つ可からざるなり」と。夜 師を還して歸る。老子曰く、「能く國の垢を受くる、是を社稷の主と謂う」と。
現代語訳
晋が楚を討ち、三舎の距離を進んでも止まらなかった。大夫たちが迎え撃つことを願い出た。荘王は言った、「先君の時代には、晋は楚を討たなかった。私の代になって晋が楚を討つ。これは私の過ちだ。どうして大夫たちを辱められよう」。大夫たちは言った、「先代の臣の時代には、晋は楚を討ちませんでした。いま私たちの代で晋が楚を討つ。これは私たちの罪です。どうか三たび迎え撃たせてください」。王は俯いて泣き、涙が襟を濡らし、立ち上がって大夫たちを拝んだ。晋の人はこれを聞いて言った、「君も臣も争って過ちを自分にあるとし、そのうえ君は軽々と臣にへりくだる。攻めてはならない」。夜のうちに軍を返して帰った。老子は言った、「よく国の汚れを引き受ける、これを社稷の主という」。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』昭公十六年 孔張、位を失う二月、晉の韓起鄭に聘す。鄭伯之を享す。子產戒めて曰く、「苟くも朝に位有らば、共恪せざる有る無かれ」と。孔張後れて至り、客の間に立つ。執政之を禦ぐ。客の後に適く。又之を禦ぐ。縣の間に適く。客從ひて之を笑ふ。事畢はり、富子諫めて曰く、「夫れ大國の人は、慎まざる可からざるなり。幾ど之が笑ひと為りて、我を陵がざらんや。我皆禮有るも、夫れ猶ほ我を鄙しむ。國にして禮無くんば、何を以ってか榮を求めん。孔張位を失ふは、吾子の恥なり」と。子產怒りて曰く、「命を發するの衷ならず、令を出だすの信ならず、刑の頗類、獄の放紛、會朝の敬せず、使命の聽かれず、陵ぎを大國に取り、民を罷らせて功無く、罪及べども知らざるは、僑の恥なり。孔張は、君の昆孫、子孔の後なり、執政の嗣なり。嗣大夫と為り、命を承けて以って使ひし、諸侯に周し。國人の尊ぶ所、諸侯の知る所なり。朝に立ちて家に祀り、國に祿有り、軍に賦有り、喪祭に職有り、脤を受け賑を歸す。其の祭は廟に在り、已に著位有り。位に在ること數世、世々其の業を守る。而るに其の所を忘る。僑焉んぞ之を恥ぢんや。辟邪の人、而して皆執政に及ばば、是れ先王に刑罰無きなり。子寧ろ他を以って我を規せ。
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『春秋左氏伝』僖公三十三年 一眚を以て大徳を掩わず夏、四月、辛巳、秦の師を殽に敗り、百里孟明視・西乞術・白乙丙を獲て以って歸る。遂に墨して以って文公を葬る。晉是に於いて始めて墨す。文嬴三帥を請ひて曰く、「彼實に吾が二君を構ふ。寡君若し得て之を食らふとも、厭かじ。君何ぞ辱くも討たん。歸りて秦に戮に就かしめ、以って寡君の志を逞(たくま)しうせしめば、若何」と。公之を許す。先軫朝して、秦の囚を問ふ。公曰く、「夫人之を請ふ、吾之を舍せり」と。先軫怒りて曰く、「武夫力めて諸を原に拘へ、婦人暫くにして諸を國に免ず。軍實を墮(こぼ)ちて寇讎を長ず。亡ぶること日無からん」と。顧みずして唾す。公陽處父をして之を追はしむ。諸を河に及べば、則ち舟中に在り。左驂を釋き、公命を以って孟明に贈る。孟明稽首して曰く、「君の惠、纍臣を以って鼓に釁(ちぬ)らず、歸りて秦に戮に就かしむ。寡君の以って戮と為さば、死すとも且つ朽ちず。若し君の惠に從ひて之を免さば、三年にして將に君の賜を拜せんとす」と。秦伯素服して郊次し、師に鄉(むか)ひて哭して曰く、「孤蹇叔に違ひ、以って二三子を辱しむ、孤の罪なり。孟明を替へざるは、孤の過ちなり。大夫何の罪かあらん。且つ吾一眚(いっせい)を以って大德を掩はず」と。狄齊を侵す、晉の喪に因るなり。公邾を伐ち、訾婁(しろう)を取り、以って升陘の役に報ゆ。邾人備へを設けず。秋、襄仲復た邾を伐つ。狄晉を伐ち、箕に及ぶ。
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史記 循吏列伝文公曰く、「子は則ち自ら以て罪有りと為す、寡人も亦罪有るか」と。李離曰く、「理に法有り、刑を失へば則ち刑し、死を失へば則ち死す。公臣の能く微を聴き疑はしきを決するを以て、故に理為らしむ。今過ちて聴きて人を殺す、罪死に当たる」と。遂に令を受けず、剣に伏して死す。太史公曰く、孫叔敖一言を出だして、郢の市復す。子産病みて死し、鄭の民号哭す。公儀子好布を見て家婦逐はる。石奢父を縦して死し、楚の昭名立つ。李離過ちて殺して剣に伏し、晋の文以て国法を正す。

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