淮南子 / 道應訓
子發攻蔡,逾之。宣王郊迎,列田百頃,而封之執圭。子發辭不受。曰:「治國立政,諸侯入賓,此君之德也;發號施令,師未合而失敵遁,此將軍之威也;兵陳戰而勝敵者,此庶民之力也。夫乘民之功勞,而取其爵祿者,非仁義之道也。」故辭而弗受。故老子曰:「功成而不居。夫惟不居,是以不去。」
新字:子発攻蔡,逾之。宣王郊迎,列田百頃,而封之執圭。子発辞不受。曰:「治国立政,諸侯入賓,此君之徳也;発号施令,師未合而失敵遁,此将軍之威也;兵陳戦而勝敵者,此庶民之力也。夫乗民之功労,而取其爵禄者,非仁義之道也。」故辞而弗受。故老子曰:「功成而不居。夫惟不居,是以不去。」
書き下し
子發 蔡を攻めて、之を逾ゆ。宣王 郊迎して、田百頃を列ね、之を執圭に封ず。子發 辭して受けず。曰く、「國を治め政を立て、諸侯 入りて賓たるは、此れ君の德なり。號を發し令を施し、師 未だ合わずして敵 失いて遁るるは、此れ將軍の威なり。兵 陳し戰いて敵に勝つ者は、此れ庶民の力なり。夫れ民の功勞に乘じて、其の爵祿を取るは、仁義の道に非ざるなり」と。故に辭して受けず。故に老子曰く、「功 成りて居らず。夫れ惟だ居らず、是を以て去らず」と。
現代語訳
子発が蔡を攻めて、これを越えた。宣王は郊外まで迎え、田を百頃連ねて与え、執圭の位に封じた。子発は辞退して受けなかった。言った、「国を治め政を立て、諸侯が来て従うのは、君の徳です。号令を発し、軍が合わないうちに敵が浮き足立って逃げるのは、将軍の威です。軍を並べて戦い敵に勝つのは、民の力です。民の働きに乗って、その爵禄を取るのは、仁義の道ではありません」。だから辞退して受けなかった。だから老子は言った、「功が成っても居座らない。ただ居座らないから、去ることもない」。
解説
勝利を三つに分解するのが鮮やかです。諸侯が従うのは君の徳、敵が戦う前に逃げるのは将軍の威、実際に戦って勝つのは民の力。そのうえで「夫れ民の功勞に乘じて、其の爵祿を取るは、仁義の道に非ざるなり」。自分の取り分がどこまでかを、感情ではなく分解によって決めています。辞退の理屈として、これ以上ないほど具体的です。
この章句が説くこと
子発蔡を攻めて之を逾ゆ宣王郊迎して之を執圭に封ず国を治め政を立て諸侯入りて賓たるは此れ君の徳なり師未だ合わずして敵失いて遁るるは此れ将軍の威なり兵陳し戦いて敵に勝つ者は此れ庶民の力なり民の功労に乗じて其の爵禄を取るは仁義の道に非ず功
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