淮南子 / 道應訓
晉公子重耳出亡,過曹,無禮焉。厘負羈之妻謂厘負羈曰:「君無禮於晉公子,吾觀其從者,皆賢人也。若以相夫子反晉國,必伐曹,子何不先加德焉?」厘負羈遺之壺飯而加璧焉。重耳受其飯而反其璧。及其反國,起師伐曹,克之。令三軍無入厘負羈之里。故老子曰:「曲則全,枉則正。」
新字:晉公子重耳出亡,過曹,無礼焉。厘負羈之妻謂厘負羈曰:「君無礼於晉公子,吾観其従者,皆賢人也。若以相夫子反晉国,必伐曹,子何不先加徳焉?」厘負羈遺之壺飯而加璧焉。重耳受其飯而反其璧。及其反国,起師伐曹,克之。令三軍無入厘負羈之里。故老子曰:「曲則全,枉則正。」
書き下し
晉の公子重耳 出亡して、曹を過ぐ。焉に無禮あり。厘負羈の妻 厘負羈に謂いて曰く、「君 晉の公子に無禮なり。吾 其の從者を觀るに、皆な賢人なり。若し以て夫子を相けて晉國に反らば、必ず曹を伐たん。子 何ぞ先ず德を焉に加えざる」と。厘負羈 之に壺飯を遺りて璧を焉に加う。重耳 其の飯を受けて其の璧を反す。其の國に反るに及び、師を起こして曹を伐ち、之に克つ。三軍をして厘負羈の里に入る無からしむ。故に老子曰く、「曲なれば則ち全く、枉なれば則ち正し」と。
現代語訳
晋の公子重耳が国を出て亡命し、曹を通った。そこで無礼な扱いを受けた。釐負羈の妻が釐負羈に言った、「君は晋の公子に無礼をなさいました。私が従者たちを見るに、みな賢い人です。もしその方を助けて晋の国に帰れば、必ず曹を討つでしょう。あなたはなぜ先に恩を施しておかないのですか」。釐負羈は壺一杯の飯を贈り、そこに玉を添えた。重耳は飯を受け取り、玉は返した。国に帰ったのち、軍を起こして曹を討ち、これに勝った。三軍に命じて釐負羈の里には入らせなかった。だから老子は言った、「曲がっていれば全うされ、枉げられていれば正される」。
解説
妻の見立てが正確です。従者たちの顔ぶれを見て、この人は帰国して国を取り、必ず曹を討つと読む。そのうえで「先ず德を焉に加えざる」と促します。贈り物への重耳の応じ方も鮮やかで、飯は受け取り、玉は返した。困っている者への助けは受け、取り引きの匂いのするものは受けない。後日、その里だけが兵を免れます。
この章句が説くこと
晉の公子重耳出亡して曹を過ぐ焉に無礼あり吾其の従者を観るに皆な賢人なり子何ぞ先ず徳を焉に加えざる重耳其の飯を受けて其の璧を反す三軍をして厘負羈の里に入る無からしむ恩
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