淮南子 / 道應訓
令尹子佩請飲莊王。莊王許諾。子佩疎揖,北面立於殿下。曰:「昔者君王許之,今不果往。意者臣有罪乎?」莊王曰:「吾聞子具於強臺。強臺者,南望料山,以臨方皇,左江而右淮,其樂忘死,若吾薄德之人,不可以當此樂也。恐留而不能反。」故老子曰:「不見可欲,使心不亂。」
新字:令尹子佩請飲荘王。荘王許諾。子佩疎揖,北面立於殿下。曰:「昔者君王許之,今不果往。意者臣有罪乎?」荘王曰:「吾聞子具於強台。強台者,南望料山,以臨方皇,左江而右淮,其楽忘死,若吾薄徳之人,不可以当此楽也。恐留而不能反。」故老子曰:「不見可欲,使心不乱。」
書き下し
令尹子佩 莊王に飲まんことを請う。莊王 許諾す。子佩 疎揖して、北面して殿下に立つ。曰く、「昔者 君王 之を許す。今 果たして往かず。意うに臣に罪有るか」と。莊王曰く、「吾 子の強臺に具うるを聞けり。強臺なる者は、南に料山を望み、以て方皇に臨み、左に江して右に淮す。其の樂しみ 死を忘る。吾が薄德の人の若きは、以て此の樂しみに當たる可からず。留まりて反る能わざるを恐る」と。故に老子曰く、「欲す可きを見ざれば、心をして亂れざらしむ」と。
現代語訳
令尹の子佩が荘王に酒宴に来てほしいと願った。荘王は承知した。子佩は簡略に礼をして、北を向いて殿の下に立って言った、「先ごろ君王はお許しになりました。それなのに結局おいでになりません。私に罪があるのでしょうか」。荘王は言った、「おまえが強台に用意していると聞いた。強台というところは、南に料山を望み、方皇を見下ろし、左に長江、右に淮水がある。その楽しさは死をも忘れさせる。私のような徳の薄い人間は、この楽しみに耐えられない。留まって帰れなくなるのが怖いのだ」。だから老子は言った、「欲しくなるものを見なければ、心を乱れさせずに済む」。
解説
招待を断った理由が正直です。強台の眺めが素晴らしすぎるから行かない、と。しかも自分を高く見積もっていません。「吾が薄德の人の若きは、以て此の樂しみに當たる可からず」。自分にはあの楽しさに耐える力がない、留まって帰れなくなるのが怖い、と言い切る。誘惑に打ち勝つ話ではなく、勝てないと知っているから近づかない話です。
この章句が説くこと
令尹子佩荘王に飲まんことを請う強台なる者は南に料山を望み左に江して右に淮す其の楽しみ死を忘る吾が薄徳の人の若きは以て此の楽しみに当たる可からず欲す可きを見ざれば心をして乱れざらしむ誘惑
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