淮南子 / 道應訓
薄疑説衞嗣君以王術。嗣君應之曰:「予所有者,千乘也。願以受教。」薄疑對曰:「烏獲舉千鈞,又況一斤乎?」杜赫以安天下説周昭文君,文君謂杜赫曰:「願學所以安周。」赫對曰:「臣之所言不可,則不能安周;臣之所言可,則周自安矣。」此所謂弗安而安者也。故老子曰:「大制無割,故致數輿無輿也。」
新字:薄疑説衛嗣君以王術。嗣君応之曰:「予所有者,千乗也。願以受教。」薄疑対曰:「烏獲舉千鈞,又況一斤乎?」杜赫以安天下説周昭文君,文君謂杜赫曰:「願学所以安周。」赫対曰:「臣之所言不可,則不能安周;臣之所言可,則周自安矣。」此所謂弗安而安者也。故老子曰:「大制無割,故致数輿無輿也。」
書き下し
薄疑 衞の嗣君に説くに王術を以てす。嗣君 之に應えて曰く、「予の有する所の者は、千乘なり。願わくは以て教を受けん」と。薄疑 對えて曰く、「烏獲は千鈞を舉ぐ。又た況んや一斤をや」と。杜赫 天下を安んずるを以て周の昭文君に説く。文君 杜赫に謂いて曰く、「願わくは周を安んずる所以を學ばん」と。赫 對えて曰く、「臣の言う所 不可ならば、則ち周を安んずる能わず。臣の言う所 可ならば、則ち周 自ら安んぜん」と。此れ所謂 安んぜずして安んずる者なり。故に老子曰く、「大制は割く無し、故に數輿を致せば輿無きなり」と。
現代語訳
薄疑が衛の嗣君に王者の術を説いた。嗣君は応えて言った、「私が持っているのは千乗の国だ。それに合った教えを受けたい」。薄疑は答えた、「烏獲は千鈞を持ち上げます。まして一斤くらいは言うまでもありません」。杜赫が天下を安んじる話を周の昭文君に説いた。文君は杜赫に言った、「周を安んじる方法を学びたい」。杜赫は答えた、「私の言うことが用いられないなら、周を安んじることはできません。私の言うことが用いられるなら、周はおのずと安らかになります」。これがいわゆる、安んじようとせずに安んじるということである。だから老子は言った、「大いなる制は切り分けない。だから車を数え上げれば車そのものが無くなる」。
解説
二つとも、話の大きさを縮めてくれと頼まれて断る場面です。薄疑は「千鈞を持ち上げる者に一斤は言うまでもない」と返し、杜赫は「用いられれば周はおのずと安らかになる」と返す。小さい問題に合わせて答えを刻むと、答えのほうが効かなくなる、と。老子の「大制は割く無し」が、その理屈をそのまま示しています。
この章句が説くこと
薄疑衛の嗣君に説くに王術を以てす烏獲は千鈞を舉ぐ又た況んや一斤をや臣の言う所不可ならば則ち周を安んずる能わず臣の言う所可ならば則ち周自ら安んぜん此れ所謂安んぜずして安んずる者なり大制は割く無し規模
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