淮南子 / 道應訓
惠子爲惠王爲國法,已成而示諸先生,先生皆善之,奏之惠王。惠王甚説之。以示翟煎,曰:「善」!惠王曰:「善,可行乎?」翟煎曰:「不可。」惠王曰:「善而不可行,何也?」翟煎對曰:「今夫舉大木者,前呼邪許,後亦應之。此舉重勸力之歌也,豈無鄭、衞激楚之音哉?然而不用者,不若此其宜也。治國有禮,不在文辯。」故老子曰:「法令滋彰,盜賊多有。」此之謂也。
新字:恵子為恵王為国法,已成而示諸先生,先生皆善之,奏之恵王。恵王甚説之。以示翟煎,曰:「善」!恵王曰:「善,可行乎?」翟煎曰:「不可。」恵王曰:「善而不可行,何也?」翟煎対曰:「今夫舉大木者,前呼邪許,後亦応之。此舉重勧力之歌也,豈無鄭、衛激楚之音哉?然而不用者,不若此其宜也。治国有礼,不在文弁。」故老子曰:「法令滋彰,盗賊多有。」此之謂也。
書き下し
惠子 惠王の爲に國法を爲る。已に成りて諸を先生に示すに、先生 皆な之を善しとし、之を惠王に奏す。惠王 甚だ之を説ぶ。以て翟煎に示す。曰く、「善し」と。惠王曰く、「善ければ、行う可きか」と。翟煎曰く、「不可なり」と。惠王曰く、「善くして行う可からざるは、何ぞや」と。翟煎 對えて曰く、「今夫れ大木を舉ぐる者は、前に邪許と呼び、後も亦た之に應ず。此れ重きを舉げ力を勸むるの歌なり。豈に鄭・衞激楚の音無からんや。然れども用いざる者は、此の其の宜しきに若かざればなり。國を治むるに禮有り、文辯に在らず」と。故に老子曰く、「法令 滋々彰らかにして、盜賊 多く有り」と。此れ之を謂うなり。
現代語訳
恵子が恵王のために国の法を作った。できあがって先生方に見せると、みなよいと言い、恵王に奏上した。恵王は大いに喜んだ。それを翟煎に見せた。「よくできています」。恵王は言った、「よいなら、行ってよいか」。翟煎は言った、「いけません」。恵王は言った、「よいのに行えないとは、どういうことか」。翟煎は答えた、「大きな木を担ぐ者は、前でえいやと掛け声をかけ、後ろもそれに応えます。これは重い物を持ち上げ力を励ますための歌です。鄭や衛や激楚の名高い音楽がないわけではありません。それでも使わないのは、この掛け声のほうが適しているからです。国を治めるには礼があり、文章の巧みさにあるのではありません」。だから老子は言った、「法令が細かく明らかになるほど、盗賊は多くなる」。このことである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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呂氏春秋・淫辭⑧惠子、魏の惠王の爲に法を爲る。法を爲ること已に成りて、以て諸を民人に示す。民人皆之を善しとす。之を惠王に獻ず。惠王之を善しとし、以て翟翦に示す。翟翦曰く、「善きなり。」惠王曰く、「行う可きか。」翟翦曰く、「不可なり。」惠王曰く、「善けれども行う可からざるは、何の故ぞ。」翟翦對えて曰く、「今、大木を舉ぐる者、前に輿謣と呼びて、後も亦た之に應ず。此れ其の大木を舉ぐる者に善ければなり。豈に鄭・衛の音無からんや。然れども此れ其の宜しきには若かざるなり。夫れ國も亦た木の大なる者なり。」
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文子・微明文子問うて曰く、国を為むるに亦た法有りや。老子曰く、今夫れ車を挽く者は、前に邪軤と呼べば、後も亦た之に応ず。此れ車を挽きて力を勧むるの歌なり。鄭衛胡楚の音と雖も、此の義に若かず。国を治むるに礼有り、文辯に在らず。「法令滋ます彰らかにして、盗賊多く有り」。
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文子・道原老子曰く、機械の心中に蔵せば、純白粋ならず。神徳身に全からざる者は、何ぞ遠きの能く壊るるを知らん。害せんと欲するの心中に忘るれば、即ち飢虎も尾す可し。而るを況んや人をや。道を体する者は佚して窮せず、数に任す者は労して功無し。夫れ法刻刑誅は、帝王の業に非ず。箠策繁く用いるは、致遠の御に非ず。好憎繁多なれば、禍乃ち相い随う。故に先王の法は、作る所に非ず、因る所なり。其の禁誅は、為す所に非ず、守る所なり。故に能く因れば即ち大、作れば即ち細、能く守れば即ち固、為せば即ち敗る。夫れ耳目に任せて以て聴視する者は、心を労して明らかならず。智慮を以て治を為す者は、心を苦しめて功無し。一人の材に任せては、以て至治し難し。一人の能は、以て三畝の宅を治むるに足らず。道理の数に循い、天地の自然に因れば、即ち六合も均しきに足らず。聴くこと非誉に失い、目は彩色に淫す。礼亶は以て愛に放うに足らず、誠心は以て遠きを懐く可し。故に兵は志より憯きは莫く、鏌鋣は下と為す。寇は陰陽より大なるは莫く、枹鼓は細と為す。所謂大寇は尸に伏し、節を言わず。中寇は山に蔵れ、小寇は民間に遯る。故に曰く、民に智能多ければ奇物滋ます起こり、法令滋ます章らかなれば盗賊多く有り。
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『淮南子』道應訓薄疑 衞の嗣君に説くに王術を以てす。嗣君 之に應えて曰く、「予の有する所の者は、千乘なり。願わくは以て教を受けん」と。薄疑 對えて曰く、「烏獲は千鈞を舉ぐ。又た況んや一斤をや」と。杜赫 天下を安んずるを以て周の昭文君に説く。文君 杜赫に謂いて曰く、「願わくは周を安んずる所以を學ばん」と。赫 對えて曰く、「臣の言う所 不可ならば、則ち周を安んずる能わず。臣の言う所 可ならば、則ち周 自ら安んぜん」と。此れ所謂 安んぜずして安んずる者なり。故に老子曰く、「大制は割く無し、故に數輿を致せば輿無きなり」と。
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『淮南子』道應訓甯越 齊の桓公に干めんと欲するも、困窮して以て自ら達する無し。是に於いて商旅と爲り、任車を將いて、以て齊に商す。暮に郭門の外に宿る。桓公 郊に客を迎えんとし、夜 門を開き、任車を辟け、爝火 甚だ盛んに、從者 甚だ衆し。甯越 牛に車下に飯し、桓公を望み見て悲しむ。牛角を撃ちて疾く商歌す。桓公 之を聞き、其の僕の手を撫でて曰く、「異なるかな。歌う者は常人に非ざるなり」と。後車に命じて之を載す。桓公 至るに及び、從者 以て請う。桓公 之に衣冠を贛りて見え、説くに以て天下を爲むるを以てす。桓公 大いに説び、將に之を任ぜんとす。君臣 之を爭いて曰く、「客は、衞人なり。衞の齊を去ること遠からず。君 人をして之を問わしむるに若かず。之を問いて故より賢者ならば、之を用うるも未だ晩からず」と。桓公曰く、「然らず。之を問えば、其の小惡有るを患う。人の小惡を以て人の大美を忘るるは、此れ人主の天下の士を失う所以なり」と。凡そ聽くに必ず驗有り。一たび聽きて復た問わざるは、其の以てする所に合すればなり。且つ人は固より合し難きなり。權りて其の長ずる者を用うるのみ。是の舉に當たりて、桓公 之を得たり。故に老子曰く、「天は大、地は大、道は大、王も亦た大なり。域中に四大有りて、王 其の一に處る」と。以て其の能く之を包裹するを言うなり。
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『淮南子』齊俗訓今 吾 是を擇びて之に居り、非を擇びて之を去らんと欲するも、世の所謂 是非なる者を知らず、孰れか是にして孰れか非なるかを知らず。老子曰く、「大國を治むるは小鮮を烹るが若し」と。寬裕を為す者は數ば撓すこと勿かれと曰い、刻削を為す者は其の鹹酸を致すのみと曰う。晉の平公 言を出だして當たらず、師曠 琴を舉げて之を撞ち、衽を跌して宮壁す。左右 之を塗らんと欲す。平公曰く、「之を舍け。此を以て寡人の失と為さん」と。孔子 之を聞きて曰く、「平公 其の體を痛まざるに非ざるなり、諫むる者を來たさんと欲すればなり」と。韓子 之を聞きて曰く、「群臣 禮を失して誅せざるは、是れ過ちを縱にするなり。以て有るかな、平公の霸たらざるや」と。故に賓に人を宓子に見る者有り。賓 出でて、宓子曰く、「子の賓 獨り三過有り。我を望みて笑うは、是れ攓なり」と。

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