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淮南子 / 道應訓

白公問於孔子曰:「人可以微言?」孔子不應。白公曰:「若以石投水中,何如?」曰:「呉、越之善沒者能取之矣。」曰:「若以水投水,何如?」孔子曰:「菑、澠之水合,易牙嘗而知之。」白公曰:「然則人固不可以微言乎?」孔子曰:「何謂不可?誰知言之謂者乎?夫知言之謂者,不以言言也。爭魚者濡,逐獸者趨,非樂之也。故至言去言,至爲無爲,夫淺知之所爭者,末矣。」白公不得也,故死於浴室。故老子曰:「言有宗,事有君。夫唯無知,是以不吾知也。」白公之謂也。

新字:白公問於孔子曰:「人可以微言?」孔子不応。白公曰:「若以石投水中,何如?」曰:「呉、越之善没者能取之矣。」曰:「若以水投水,何如?」孔子曰:「菑、澠之水合,易牙嘗而知之。」白公曰:「然則人固不可以微言乎?」孔子曰:「何謂不可?誰知言之謂者乎?夫知言之謂者,不以言言也。争魚者濡,逐獣者趨,非楽之也。故至言去言,至為無為,夫浅知之所争者,末矣。」白公不得也,故死於浴室。故老子曰:「言有宗,事有君。夫唯無知,是以不吾知也。」白公之謂也。

書き下し

白公 孔子に問いて曰く、「人は以て微言す可きか」と。孔子 應ぜず。白公曰く、「石を以て水中に投ずるが若きは、何如」と。曰く、「呉・越の善く沒する者 能く之を取らん」と。曰く、「水を以て水に投ずるが若きは、何如」と。孔子曰く、「菑・澠の水 合すれば、易牙 嘗めて之を知る」と。白公曰く、「然らば則ち人は固より以て微言す可からざるか」と。孔子曰く、「何ぞ不可と謂わん。誰か言の謂う所の者を知らんや。夫れ言の謂う所を知る者は、言を以て言わざるなり。魚を爭う者は濡れ、獸を逐う者は趨る。之を樂しむに非ざるなり。故に至言は言を去り、至爲は爲すこと無し。夫れ淺知の爭う所の者は、末なり」と。白公 得ずして、故に浴室に死す。故に老子曰く、「言に宗有り、事に君有り。夫れ唯だ知る無し、是を以て吾を知らざるなり」と。白公の謂いなり。

現代語訳

白公が孔子に問うた、「人はひそかな言葉で語り合えるものですか」。孔子は答えなかった。白公は言った、「石を水の中に投げ込むようなものならどうですか」。孔子は言った、「呉や越の潜りの上手い者なら取り出せるだろう」。「水を水に投げ入れるようなものならどうですか」。孔子は言った、「菑と澠の水が合わさっても、易牙は舐めて見分けた」。白公は言った、「では人はもともとひそかに語り合えないのですか」。孔子は言った、「なぜできないと言おう。誰が言葉の指しているものを知るのか。言葉の指すところを知る者は、言葉で言わない。魚を争う者は濡れ、獣を追う者は走る。それが好きでそうするのではない。だから極みの言葉は言葉を離れ、極みの行いは何もしない。浅い知恵が争っているのは、末端のことだ」。白公はそれを得られず、だから浴室で死んだ。だから老子は言った、「言葉には宗があり、事には君がある。ただ知る者がない、だから私を知らないのだ」。白公のことを言っている。

解説

白公はひそかに謀を通じ合う方法を訊いていて、孔子は言葉そのものの話で返します。「言の謂う所を知る者は、言を以て言わざるなり」。分かっている者は言葉で言わない、と。魚を争えば濡れ、獣を追えば走る、というのも、好きでやっているのではなく、そうせざるを得ないから。目的が先にあれば、動きはついてくる。白公はそこを取り違えたまま乱を起こし、浴室で死んだ、と結ばれます。

この章句が説くこと

白公孔子に問いて曰く人は以て微言す可きか菑・澠の水合すれば易牙嘗めて之を知る言の謂う所を知る者は言を以て言わざるなり魚を争う者は濡れ獣を逐う者は趨る之を楽しむに非ざるなり至言は言を去り至為は為すこと無し言葉

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