淮南子 / 齊俗訓
湯、武之累行積善,可及也;其遭桀、紂之世,天授也。今有湯、武之意,而無桀、紂之時,而欲成霸王之業,亦不幾矣。昔武王執戈秉鉞以伐紂勝殷,搢笏杖殳以臨朝。武王既沒,殷民叛之,周公踐東宮,履乘石,攝天子之位,負扆而朝諸侯,放蔡叔,誅管叔,克殷殘商,祀文王于明堂,七年而致政成王。夫武王先武而後文,非意變也,以應時也;周公放兄誅弟,非不仁也,以匡亂也。
新字:湯、武之累行積善,可及也;其遭桀、紂之世,天授也。今有湯、武之意,而無桀、紂之時,而欲成覇王之業,亦不幾矣。昔武王執戈秉鉞以伐紂勝殷,搢笏杖殳以臨朝。武王既没,殷民叛之,周公践東宮,履乗石,摂天子之位,負扆而朝諸侯,放蔡叔,誅管叔,克殷残商,祀文王于明堂,七年而致政成王。夫武王先武而後文,非意変也,以応時也;周公放兄誅弟,非不仁也,以匡乱也。
書き下し
湯・武の行を累ね善を積むは、及ぶ可きなり。其の桀・紂の世に遭うは、天の授くるなり。今 湯・武の意有りて、桀・紂の時無くして、霸王の業を成さんと欲するは、亦た幾からざるなり。昔 武王 戈を執り鉞を秉りて以て紂を伐ち殷に勝ち、笏を搢み殳を杖きて以て朝に臨む。武王 既に沒し、殷民 之に叛く。周公 東宮を踐み、乘石を履み、天子の位を攝り、扆を負いて諸侯に朝し、蔡叔を放ち、管叔を誅し、殷に克ち商を殘い、文王を明堂に祀り、七年にして政を成王に致す。夫れ武王 先に武にして後に文なるは、意の變に非ず、以て時に應ずればなり。周公 兄を放ち弟を誅するは、不仁に非ず、以て亂を匡せばなり。
現代語訳
湯と武が行いを重ね善を積んだことは、真似できる。彼らが桀と紂の世に遭ったことは、天が授けたものである。いま湯と武の志を持ちながら、桀と紂の時がないのに覇王の業を成そうとするのは、望み薄である。昔、武王は戈を執り鉞を持って紂を討ち殷に勝ち、その後は笏を挿し杖をついて朝廷に臨んだ。武王が没すると、殷の民は背いた。周公は東宮を踏み、乗石を履み、天子の位を代行し、屏を背にして諸侯に朝し、蔡叔を追放し、管叔を誅し、殷に克ち商を破り、文王を明堂に祀り、七年で政を成王に返した。武王が先に武で後に文であったのは、志が変わったのではなく、時に応じたのである。周公が兄を追放し弟を誅したのは、不仁ではなく、乱を正したのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
孟子・盡心章句下孟子曰く、「梓匠・輪輿は、能く人に規矩を與うるも、人をして巧みならしむること能わず。」
-
孟子・告子章句上孟子曰く、「仁の不仁に勝つは、猶ほ水の火に勝つがごとし。今の仁を為す者は、猶ほ一杯の水を以て、一車薪の火を救うがごときなり。熄まずんば、則ち之を水は火に勝たずと謂う。此れ又不仁に與するの甚しき者なり。亦た終に必ず亡せんのみ。」
-
説苑・建本梁丘拠、晏子に謂いて曰わく、「吾死に至るまで夫子に及ばじ」と。晏子曰わく、「嬰之を聞く、為す者は常に成り、行く者は常に至ると。嬰人に異なる有るに非ざるなり、常に為して置かず、常に行きて休まざる者なり。故に及び難きなり」と。
-
孟子・盡心章句上孟子曰く、「堯舜は、之を性にするなり。湯武は、之を身にするなり。五霸は、之を假るなり。久しく假りて歸さずんば、惡くんぞ其の、有に非ざるを知らんや。」
-
うひ山ぶみ・第十三段いかほど学びかたよくても、怠りてつとめざれば、功はなし、又人々の才と不才とによりて、其功いたく異なれども、才不才は、生れつきたることなれば、力に及びがたし、
-
孟子・盡心章句上孟子曰く、「恥の人に於けるや、大なり。機變の巧を為す者は、恥を用うる所無し。人に若かざることを羞ぢずんば、何ぞ人に若くことか有らん。」