淮南子 / 齊俗訓
故高不可及者,不可以為人量;行不可逮者,不可以為國俗。夫挈輕重不失銖兩,聖人弗用,而縣之乎銓衡;視高下不差尺寸,明主弗任,而求之乎浣準。何則?人才不可專用,而度量可世傳也。故國治可與愚守也,而軍制可與權用也。夫待騕褭飛兔而駕之,則世莫乘車;待西施、毛嬙而為配,則終身不家矣。然非待古之英俊,而人自足者,因所有而並用之。夫騏驥千里,一日而通;駑馬十舍,旬亦至之。由是觀之,人材不足專恃,而道術可公行也。
新字:故高不可及者,不可以為人量;行不可逮者,不可以為国俗。夫挈軽重不失銖両,聖人弗用,而県之乎銓衡;視高下不差尺寸,明主弗任,而求之乎浣準。何則?人才不可専用,而度量可世伝也。故国治可与愚守也,而軍制可与権用也。夫待騕褭飛兔而駕之,則世莫乗車;待西施、毛嬙而為配,則終身不家矣。然非待古之英俊,而人自足者,因所有而並用之。夫騏驥千里,一日而通;駑馬十舎,旬亦至之。由是観之,人材不足専恃,而道術可公行也。
書き下し
故に高くして及ぶ可からざる者は、以て人の量と為す可からず。行いて逮ぶ可からざる者は、以て國の俗と為す可からず。夫れ輕重を挈りて銖兩を失わざるも、聖人は用いずして、之を銓衡に縣く。高下を視て尺寸を差えざるも、明主は任ぜずして、之を浣準に求む。何となれば則ち、人才は專ら用う可からずして、度量は世に傳う可ければなり。故に國治は愚と與に守る可くして、軍制は權と與に用う可し。夫れ騕褭飛兔を待ちて之に駕せば、則ち世に車に乘る莫し。西施・毛嬙を待ちて配と為さば、則ち終身 家せざらん。然れども古の英俊を待たずして、人 自ら足る者は、有る所に因りて並びに之を用うればなり。夫れ騏驥は千里、一日にして通ず。駑馬も十舍、旬にして亦た之に至る。是に由りて之を觀れば、人材は專ら恃むに足らずして、道術は公に行う可きなり。
現代語訳
だから高すぎて及べないものは、人を測る物差しにできない。行っても追いつけないものは、国の習わしにできない。重さを持ち上げて一銖一両も外さない者がいても、聖人はそれを用いず、秤に掛ける。高低を見て尺寸を違えない者がいても、明君はそれに任せず、水盛りで求める。なぜか。人の才は独りに頼れないが、度量衡は世に伝えられるからである。だから国の治めは愚かな者とも守れ、軍の制は臨機の判断とも使える。名馬の騕褭や飛兎を待って車を引かせるなら、世に車に乗る者はいなくなる。西施や毛嬙を待って妻とするなら、生涯所帯を持てない。それでも昔の英傑を待たずに人が足りているのは、いま有るものに因って併せ用いるからである。駿馬は千里を一日で通う。駑馬でも十日かければ同じところに至る。これによって見れば、人の才だけには頼れず、道術は公に行える。
解説
この章句が説くこと
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