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淮南子 / 齊俗訓

智昏不可以為政,波水不可以為平。故聖王執一而勿失,萬物之情既矣,四夷九州服矣。夫一者至貴,無適於天下。聖人託於無適,故民命繫矣。為仁者必以哀樂論之,為義者必以取予明之。目所見不過十里,而欲遍照海內之民,哀樂弗能給也。無天下之委財,而欲遍澹萬民,利不能足也。且喜怒哀樂,有感而自然者也。故哭之發於口,涕之出於目,此皆憤於中而形於外者也。譬若水之下流,煙之上尋也,夫有孰推之者!故強哭者雖病不哀,強親者雖笑不和。情發於中而聲應於外,故釐負羈之壺餐,愈於晉獻公之垂棘;趙宣孟之束脯,賢於智伯之大鐘。故禮豐不足以效愛,而誠心可以懷遠。

新字:智昏不可以為政,波水不可以為平。故聖王執一而勿失,万物之情既矣,四夷九州服矣。夫一者至貴,無適於天下。聖人託於無適,故民命繋矣。為仁者必以哀楽論之,為義者必以取予明之。目所見不過十里,而欲遍照海内之民,哀楽弗能給也。無天下之委財,而欲遍澹万民,利不能足也。且喜怒哀楽,有感而自然者也。故哭之発於口,涕之出於目,此皆憤於中而形於外者也。譬若水之下流,煙之上尋也,夫有孰推之者!故強哭者雖病不哀,強親者雖笑不和。情発於中而声応於外,故釐負羈之壺餐,愈於晉献公之垂棘;趙宣孟之束脯,賢於智伯之大鐘。故礼豊不足以効愛,而誠心可以懐遠。

書き下し

智 昏ければ以て政を為す可からず。波水は以て平と為す可からず。故に聖王は一を執りて失う勿し。萬物の情 既くして、四夷九州 服す。夫れ一なる者は至貴にして、天下に適く無し。聖人は無適に託す。故に民命 繫がる。仁を為す者は必ず哀樂を以て之を論じ、義を為す者は必ず取予を以て之を明らかにす。目 見る所は十里に過ぎざるに、而も遍く海內の民を照らさんと欲するも、哀樂 給する能わざるなり。天下の委財無くして、遍く萬民を澹さんと欲するも、利 足る能わざるなり。且つ喜怒哀樂は、感有りて自然なる者なり。故に哭の口に發し、涕の目に出づるは、此れ皆な中に憤りて外に形るる者なり。譬えば水の下流し、煙の上尋するが若し。夫れ孰か之を推す有らんや。故に強いて哭する者は病むと雖も哀しからず、強いて親しむ者は笑うと雖も和せず。情 中に發して聲 外に應ず。故に釐負羈の壺餐は、晉獻公の垂棘に愈り、趙宣孟の束脯は、智伯の大鐘に賢る。故に禮 豐かなるも以て愛を效すに足らずして、誠心は以て遠きを懷く可し。

現代語訳

知恵が暗ければ政を行えない。波立つ水は平らかさの基準にならない。だから聖王は一つを執って失わない。万物の実情が尽くされて、四方の異民族も九州も従う。一というものは至って貴く、天下のどこへ行くというのでもない。聖人はそのどこへも行かないところに身を託す。だから民の命が繋がる。仁を行う者は必ず哀しみと楽しみで論じ、義を行う者は必ず取ることと与えることで明らかにする。目に見える範囲は十里を越えないのに、国じゅうの民をあまねく照らそうとしても、哀しみ楽しみが行き渡らない。天下じゅうの財の蓄えもないのに、万民をあまねく満たそうとしても、利が足りない。そもそも喜怒哀楽は、感じて自然に起こるものである。だから哭が口から発し、涙が目から出るのは、みな内で高ぶって外にかたちを取ったものである。たとえば水が下へ流れ、煙が上へ立つようなものだ。誰がそれを押しているだろう。だから無理に哭する者は、苦しそうでも哀しくはなく、無理に親しむ者は、笑っていても和まない。情が内から起こって、声が外に応じる。だから釐負羈の壺一杯の食事は、晋の献公の垂棘の玉に勝り、趙宣孟の干し肉一束は、智伯の大鐘に勝る。だから礼が豊かでも愛を示すには足りず、誠の心こそが遠くの人を懐かせる。

解説

「強いて哭する者は病むと雖も哀しからず、強いて親しむ者は笑うと雖も和せず」。無理に出したものは、どれだけ形が整っていても中身が届かない。哭も涙も、水が下へ流れ煙が上へ立つのと同じで、押して出すものではない、と。だから壺一杯の食事が名玉に勝り、干し肉一束が大鐘に勝る。「禮 豐かなるも以て愛を效すに足らず」。量を増やして誠意の代わりにはできません。

この章句が説くこと

智昏ければ以て政を為す可からず波水は以て平と為す可からず喜怒哀楽は感有りて自然なる者なり強いて哭する者は病むと雖も哀しからず強いて親しむ者は笑うと雖も和せず釐負羈の壺餐は晉献公の垂棘に愈る礼豊かなるも以て愛を効すに足らずして誠心は以て遠きを懐く可し誠意

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