淮南子 / 齊俗訓
因其所貴而貴之,物無不貴也;因其所賤而賤之,物無不賤也。夫玉璞不厭厚,角䚩不厭薄;漆不厭黑,粉不厭白。此四者相反也,所急則均,其用一也。今之裘與蓑,孰急?見雨則裘不用,升堂則蓑不御,此代為常者也。譬若舟、車、楯、肆、窮廬,故有所宜也。故老子曰「不上賢」者,言不致魚於木,沉鳥於淵。
新字:因其所貴而貴之,物無不貴也;因其所賤而賤之,物無不賤也。夫玉璞不厭厚,角䚩不厭薄;漆不厭黒,粉不厭白。此四者相反也,所急則均,其用一也。今之裘与蓑,孰急?見雨則裘不用,升堂則蓑不御,此代為常者也。譬若舟、車、楯、肆、窮廬,故有所宜也。故老子曰「不上賢」者,言不致魚於木,沈鳥於淵。
書き下し
其の貴ぶ所に因りて之を貴べば、物として貴からざる無し。其の賤しむ所に因りて之を賤しめば、物として賤しからざる無し。夫れ玉璞は厚きを厭わず、角䚩は薄きを厭わず。漆は黑きを厭わず、粉は白きを厭わず。此の四つの者は相い反するも、急とする所は則ち均し。其の用は一なり。今の裘と蓑と、孰れか急なる。雨を見れば則ち裘は用いられず、堂に升れば則ち蓑は御いず。此れ代わる代わる常と為る者なり。譬えば舟・車・楯・肆・窮廬の若し。故に宜しき所有るなり。故に老子の曰く「賢を上ばず」とは、魚を木に致さず、鳥を淵に沉めざるを言うなり。
現代語訳
その貴ぶところに従って貴べば、貴くない物はない。その賤しむところに従って賤しめば、賤しくない物はない。玉の原石は厚さを嫌わず、角で作った器は薄さを嫌わない。漆は黒さを嫌わず、白粉は白さを嫌わない。この四つは互いに反対だが、必要とされている点では等しい。その用は一つである。いまの毛皮と蓑と、どちらが急ぎ入用か。雨になれば毛皮は使えず、堂に上がれば蓑は着られない。これは交互に常となるものだ。たとえば舟や車、盾や仮小屋のようなもので、それぞれふさわしい場がある。だから老子が「賢者を尊ばない」と言ったのは、魚を木に登らせず、鳥を淵に沈めないことを言うのである。
解説
玉の原石は厚いほどよく、角の器は薄いほどよい。漆は黒いほど、白粉は白いほどよい。正反対の性質が、それぞれの場で等しく必要とされる。毛皮と蓑の比較が分かりやすいところです。雨が降れば毛皮は使えず、堂に上がれば蓑は脱ぐ。どちらが上ではなく、交互に主役が入れ替わる。老子の「賢を上ばず」も、賢さを否定したのではなく、魚を木に登らせないことだと読み替えられています。
この章句が説くこと
其の貴ぶ所に因りて之を貴べば物として貴からざる無し玉璞は厚きを厭わず角䚩は薄きを厭わず此の四つの者は相い反するも急とする所は則ち均し雨を見れば則ち裘は用いられず堂に升れば則ち蓑は御いず賢を上ばずとは魚を木に致さず鳥を淵に沈めざるを言うなり相対
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