淮南子 / 齊俗訓
乃至天地之所覆載,日月之所照誋,使各便其性,安其居,處其宜,為其能。故愚者有所脩,智者有所不足;柱不可以摘齒,筐不可以持屋;馬不可以服重,牛不可以追速;鉛不可以為刀,銅不可以為弩;鐵不可以為舟,木不可以為釜。各用之於其所適,施之於其所宜,即萬物一齊,而無由相過。夫明鏡便於照形,其於以函食,不如簞;犧牛粹毛,宜於廟牲,其於以致雨,不若黑蜧。由此觀之,物無貴賤。
新字:乃至天地之所覆載,日月之所照誋,使各便其性,安其居,処其宜,為其能。故愚者有所脩,智者有所不足;柱不可以摘齒,筐不可以持屋;馬不可以服重,牛不可以追速;鉛不可以為刀,銅不可以為弩;鉄不可以為舟,木不可以為釜。各用之於其所適,施之於其所宜,即万物一斉,而無由相過。夫明鏡便於照形,其於以函食,不如簞;犠牛粋毛,宜於廟牲,其於以致雨,不若黒蜧。由此観之,物無貴賤。
書き下し
乃ち天地の覆載する所、日月の照誋する所に至るまで、各々其の性に便にし、其の居に安んじ、其の宜しきに處り、其の能を為さしむ。故に愚者にも脩むる所有り、智者にも足らざる所有り。柱は以て齒を摘む可からず、筐は以て屋を持す可からず。馬は以て重に服す可からず、牛は以て速きを追う可からず。鉛は以て刀と為す可からず、銅は以て弩と為す可からず。鐵は以て舟と為す可からず、木は以て釜と為す可からず。各々之を其の適する所に用い、之を其の宜しき所に施せば、即ち萬物 一齊にして、由りて相い過ぐる無し。夫れ明鏡は形を照らすに便なるも、其の以て食を函るるに於けるや、簞に如かず。犧牛の粹毛は、廟牲に宜しきも、其の以て雨を致すに於けるや、黑蜧に若かず。此に由りて之を觀れば、物に貴賤無し。
現代語訳
天地が覆い載せるところ、日月が照らすところに至るまで、それぞれその性に合わせ、その住まいに安んじ、ふさわしいところに置き、その能力を発揮させる。だから愚かな者にも修めるところがあり、賢い者にも足りないところがある。柱で歯をほじることはできず、籠で屋根を支えることはできない。馬に重い荷を負わせることはできず、牛に速さを競わせることはできない。鉛で刀は作れず、銅で弩は作れない。鉄で舟は作れず、木で釜は作れない。それぞれ適したところに用い、ふさわしいところに施せば、万物は一様に揃って、互いに越えるということがない。明るい鏡は姿を映すのに都合がよいが、食べ物を盛るには竹の器に及ばない。いけにえの牛の純白の毛は廟の供えにふさわしいが、雨を降らせることでは黒い蛟に及ばない。これによって見れば、物に貴賤はない。
解説
この章句が説くこと
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