淮南子 / 齊俗訓
昔太公望、周公旦受封而相見,太公問周公曰:「何以治魯?」周公曰:「尊尊親親。」太公曰:「魯從此弱矣!」周公問太公曰:「何以治齊?」太公曰:「舉賢而上功。」周公曰:「後世必有劫殺之君!」其後,齊日以大,至於霸,二十四世而田氏代之;魯日以削,至三十二世而亡。故易曰:「履霜,堅冰至。」聖人之見終始微言!故糟丘生乎象箸,炮烙生乎熱斗。子路撜溺而受牛謝,孔子曰:「魯國必好救人於患。」子贛贖人而不受金於府,孔子曰:「魯國不復贖人矣。」子路受而勸德,子贛讓而止善。孔子之明,以小知大,以近知遠,通於論者也。
新字:昔太公望、周公旦受封而相見,太公問周公曰:「何以治魯?」周公曰:「尊尊親親。」太公曰:「魯従此弱矣!」周公問太公曰:「何以治斉?」太公曰:「舉賢而上功。」周公曰:「後世必有劫殺之君!」其後,斉日以大,至於覇,二十四世而田氏代之;魯日以削,至三十二世而亡。故易曰:「履霜,堅冰至。」聖人之見終始微言!故糟丘生乎象箸,炮烙生乎熱斗。子路撜溺而受牛謝,孔子曰:「魯国必好救人於患。」子贛贖人而不受金於府,孔子曰:「魯国不復贖人矣。」子路受而勧徳,子贛譲而止善。孔子之明,以小知大,以近知遠,通於論者也。
書き下し
昔 太公望・周公旦 封を受けて相い見ゆ。太公 周公に問いて曰く、「何を以て魯を治むるか」と。周公曰く、「尊きを尊び親しきを親しむ」と。太公曰く、「魯は此れより弱からん」と。周公 太公に問いて曰く、「何を以て齊を治むるか」と。太公曰く、「賢を舉げて功を上ぶ」と。周公曰く、「後世 必ず劫殺の君有らん」と。其の後、齊は日々に以て大に、霸に至り、二十四世にして田氏 之に代わる。魯は日々に以て削られ、三十二世に至りて亡ぶ。故に『易』に曰く、「霜を履めば、堅冰 至る」と。聖人の終始を見ること微なるかな。故に糟丘は象箸より生じ、炮烙は熱斗より生ず。子路 溺るるを撜いて牛の謝を受く。孔子曰く、「魯國 必ず人を患いより救うを好まん」と。子贛 人を贖いて金を府より受けず。孔子曰く、「魯國 復た人を贖わざらん」と。子路は受けて德を勸め、子贛は讓りて善を止む。孔子の明、小を以て大を知り、近きを以て遠きを知る。論に通ずる者なり。
現代語訳
昔、太公望と周公旦が封を受けて会った。太公が周公に問うた、「何によって魯を治めるか」。周公は言った、「尊い者を尊び、親しい者を親しむ」。太公は言った、「魯はこれから弱くなるだろう」。周公が太公に問うた、「何によって斉を治めるか」。太公は言った、「賢者を挙げ、功を尊ぶ」。周公は言った、「後の世に必ず主を殺す者が出るだろう」。その後、斉は日ごとに大きくなって覇に至り、二十四代で田氏に取って代わられた。魯は日ごとに削られ、三十二代で亡んだ。だから『易』に言う、「霜を踏めば、堅い氷が来る」。聖人が始めと終わりを見るのは微かなうちである。だから酒粕の丘は象牙の箸から生じ、炮烙の刑は熱した斗から生じる。子路が溺れる者を助けて牛の礼を受け取ったとき、孔子は言った、「魯の国はきっと人を災難から救うことを好むようになる」。子貢が人を買い戻して代金を役所から受け取らなかったとき、孔子は言った、「魯の国はもう人を買い戻さなくなるだろう」。子路は受け取って徳を勧め、子貢は辞退して善を止めた。孔子の明るさは、小さいことから大きいことを知り、近いことから遠いことを知る。筋道に通じた者である。
解説
この章句が説くこと
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