師導古典を学びたいすべての人に

淮南子 / 繆稱訓

察一曲者,不可與言化;審一時者,不可與言大。日不知夜,月不知晝,日月為明而弗能兼也,唯天地能函之。能包天地,曰唯無形者也。驕溢之君無忠臣,口慧之人無必信。交拱之木,無把之枝;尋常之溝,無吞舟之魚。根淺則末短,本傷則枝枯。福生於無為,患生於多欲,害生於弗備,穢生於弗耨。聖人為善若恐不及,備禍若恐不免。蒙塵而欲毋眯,涉水而欲無濡,不可得也。是故知己者不怨人,知命者不怨天。福由己發,禍由己生。

新字:察一曲者,不可与言化;審一時者,不可与言大。日不知夜,月不知昼,日月為明而弗能兼也,唯天地能函之。能包天地,曰唯無形者也。驕溢之君無忠臣,口慧之人無必信。交拱之木,無把之枝;尋常之溝,無吞舟之魚。根浅則末短,本傷則枝枯。福生於無為,患生於多欲,害生於弗備,穢生於弗耨。聖人為善若恐不及,備禍若恐不免。蒙塵而欲毋眯,渉水而欲無濡,不可得也。是故知己者不怨人,知命者不怨天。福由己発,禍由己生。

書き下し

一曲を察する者は、與に化を言う可からず。一時を審らかにする者は、與に大を言う可からず。日は夜を知らず、月は晝を知らず。日月は明を為すも兼ぬる能わざるなり。唯だ天地のみ能く之を函る。能く天地を包むは、曰わく唯だ無形なる者なり。驕溢の君に忠臣無く、口慧の人に必信無し。交拱の木に、把の枝無し。尋常の溝に、舟を吞むの魚無し。根 淺ければ則ち末 短く、本 傷つけば則ち枝 枯る。福は無為より生じ、患は多欲より生じ、害は備えざるより生じ、穢は耨らざるより生ず。聖人の善を為すは及ばざるを恐るるが若く、禍に備うるは免れざるを恐るるが若し。塵を蒙りて眯する毋からんと欲し、水を涉りて濡るる無からんと欲するは、得可からざるなり。是の故に己を知る者は人を怨まず、命を知る者は天を怨まず。福は己に由りて發し、禍は己に由りて生ず。

現代語訳

一つの部分だけを見きわめる者とは、移り変わりを語れない。一つの時だけを審らかにする者とは、大きなことを語れない。日は夜を知らず、月は昼を知らない。日と月は明るさを成しても、兼ねることはできない。ただ天地だけがそれを容れる。天地を包めるのは、かたちのないものだけである。驕り高ぶった君には忠臣がなく、口先の巧みな人には必ず守る信がない。両手で抱えるほどの太い木に、手で握れるほどの細い枝はない。ありふれた溝に、舟を呑む魚はいない。根が浅ければ末は短く、幹が傷めば枝は枯れる。福は何もしないところから生じ、患いは欲が多いところから生じ、害は備えないところから生じ、汚れは草を取らないところから生じる。聖人が善を行うのは追いつかないのを恐れるようであり、禍に備えるのは免れられないのを恐れるようである。塵をかぶって目に入らないでいたい、水を渡って濡れないでいたいというのは、できないことである。だから自分を知る者は人を怨まず、命を知る者は天を怨まない。福は自分から起こり、禍も自分から生じる。

解説

「日は夜を知らず、月は晝を知らず」。どちらも明るさを担っているのに、互いの領分は知らない。部分に詳しい人が全体を語れないことの喩えです。後半は根と枝の話で、「根 淺ければ則ち末 短く、本 傷つけば則ち枝 枯る」。枝ぶりの悪さは根の深さの問題だ、と。締めが実際的です。塵をかぶって目に入らないでいたい、水を渡って濡れないでいたい。それは望めない。だから自分を知る者は人を怨まない。

この章句が説くこと

一曲を察する者は与に化を言う可からず日は夜を知らず月は昼を知らず驕溢の君に忠臣無く口慧の人に必信無し根浅ければ則ち末短く本傷つけば則ち枝枯る福は無為より生じ患は多欲より生じ害は備えざるより生ず根本

関連する章句

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

師導で古典を学ぶ
いま登録すると、7日間すべての機能を無料でお試しいただけます。 無料ではじめる